ちばやま

ちば山の会2001年2月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821



烈風山脈24時


 20世紀末から21世紀にかけて我が、ちば山の会のメンバーで槍ヶ岳東鎌尾根に登る計画をした。結果的には敗退という結果に終わったが大変実の有る山行だったのでそれなりに文章に残そうと思った。

 入山アプローチはメンバーの白井君の知り合いである中村さんの車に分乗し千葉県から中房林道へと向かう。中村さんは同じルートを燕岳荘まで一緒に向かう。今から丁度2年前自分は同じ所を歩いていた。今回のメンバーは全く違う。歩いている時何故か何時もと違う環境にきずく。寒気が入り込んでいるのは分かるのだが吐く息が全く白くならない。そんな事を皆で語り合いながら中房温泉に到着。体調は各人とも絶好調の様で林道で先行していた他パーテイを殆ど追い越してしまった。中房温泉からも調子は良く第一,第二ベンチと続き合戦小屋手前でちょっとへばったが二時頃無事合戦小屋bpについた。

 初日の疲れを癒すべくアウトドア料理の王道カレーライスとするめで乾杯、明日以降の行動に夢をつなぐ。  気象予報士趙,白井各人の予報では明日は余り天気は良く無さそうだ。ほろ酔いかげんで就寝。夜テントの中は寒くなかった。21世紀最後の登山は風雪と共に始まった。雪は降ってはいるがラッセルは無い、昨日飛ばしすぎたのだろうか、思う様に体が動かない、やっと体が暖まって来た頃燕岳荘到着、今まで一緒に行動していた中村さんと別れ我々は東鎌尾根へと進んだ。大天井までの行程はやや中くらいの風雪であったが、なかなか距離が稼げなかった。表銀座から大天井岳への登頂コースは3つ有る。1つは信州側、そして東鎌側のトラバースコースそしてもう1つは冬コースの直登コースである。

 直登コースは時間が掛かる、途中東鎌側のコースが遠望でき、雪がたいして着いていなかったので東鎌側のルートを取った。冬は雪崩の危険が有るこのルートも予想どうり雪は少なく冷やかし程度のラッセルで大天井ヒュッテに着いた。運良く冬季小屋が有りそんなに広い小屋ではなかったが4人パーテイでは丁度いい頃合いである。何と中にはトイレも有った.。狭い小屋の二階にテントを何とか張り一日の疲れを取るべくウイスキーで乾杯。天気図を取ると強い冬型の気圧配置とのこと。この時ひょっとしたら明日は停滞かもと言う考えが脳裏に浮かぶ。ラジオで日本レコード大賞、紅白歌合戦などを聞きながら何時の間にか就寝、20世紀は静かに終わった。夜半強い風の音で目が覚める。時計を見ると午前二時、すでに21世紀である。風が強い時テントの場合中で風の音を聞くほど表の風は強くないのが普通である。しかし小屋の中では、、、、、、小屋の中のテントの中でシュラフの中で、、、、、、、荒れ狂う????風雪の音を聞きながら何時しか夢の中へ。21世紀スタート、起床と共に冬季小屋の入り口を開け外を見ようとするが開けた瞬間雪にまみれる。烈風だ。答えは瞬間に決まる。停滞だ。パーテイの皆には一応風が収まれば出るとの事を伝えまた2度寝、、、、、一時間後に起床したがヤッパリ風は収まっていなかった。サブLの白井君と相談した結果停滞決定。気合を入れるために起きた体はもう一度シュラフの中に入れようという気に成らなかった。パーテイの紅一点の趙さんの持ってきたおとそで新年の挨拶。冬季小屋の中では一日中皆で歌を歌っていた。もっと酒を持って来れば良かった。

 冬季小屋の中は寒かったが、この停滞で二日間の疲れは取れるはずだ。
 朝の気象情報、昼の気象情報、等取ったが冬型の気象配置が強く低気圧も有り動きが遅く寒冷前線が本州の下のほうに延びている。冬型の気象配置が出てても北アルプスは晴れることが有る。大筋の天気予報ではこれからどんどん悪くなるとの事。今、冬季小屋の窓から見る東鎌尾根の小ピークでは雪煙が舞っている。東鎌尾根3000メートル近い稜線で烈風に襲われたら、、???、、すでに予備日は使っている。槍の頂上を極めるには残りの二日間は絶対に晴天でなければいけない。まして雪が深かったら??。SLの白井君とも相談した結果、槍ヶ岳への前進はあきらめる事にした。如何せん登山日数が少ない、しかし我々社会人は之で登山を計画しなければ成らない時もアルのだ。 午後から少し風が弱くなった様だが今少しでも前進したらとも、考えたがせいぜい進んでも大天井小屋周辺、それならこの、ちょっと寒いが快適な冬季小屋で力を温存しょう。明日が勝負だ.。明日の退却の力を付けるべく焼肉丼で乾杯。21世紀初の冬季東鎌槍ヶ岳登頂パーテイを夢見たが、21世紀初の退却パーテイと成ることにしょう。
 時折小屋に吹き付ける風の音を聞きながら睡眠をむさぼる。ちなみに初夢は前会長の富樫さんが経営する会社(実際は経営シテナイ)の社員に成ってこき使われてる夢だった。

 一月二日、気合を入れて起床。お互い大した会話は交わさないが他のメンバーにも気合が入っている事がビシビシ体に伝わって来る。小屋の中の撤収を終え表に出ると、そこは風雪渦巻く世界であった。一瞬、こんな天気で出発して、ええんかいなー、、、、、、、。しかしここに居るわけにはいかない。意を決して大天井頂上へと進む。3日間一緒に行動して来てこのメンバーに不安は無かった。かなりの強風のため頂上経由では吹き飛ばされる危険が有るので往路と同じトラバースルートを取ることにした。風は強いが雪は思ったほど多くない、風が皆飛ばしてしまった様だ。

 雪崩の危険は感じなかったが、途中急角度で谷に落ち込んでいる所で2度程ザイルを出した。1箇所は風のためか往路と全く地形が変わっていた。程なく表銀座稜線上へ着く。地吹雪の為かあまりルートが良く見えなかったので、実はここまで来るのが長くなりそうだったが意外に早く着いた。さあここまで来れば後は風にさえ耐えて行けば、と少し気が楽になったが、、、、、、、、、実はここからがメインエベントであったのである。

 強風、、、、いや烈風というべきか、まともに立っていられない。しばらくは風の隙を突いて歩くような状態が続いた。歩いていても寒いが止まると寒気が一気に襲ってくるので歩き続ける。人間の順応性とは面白いもので最初は歩けなかった風の中も今は調子を取って皆、歩いている。とはいえ何度も皆風に打ち倒されてる。ひどい時には体を45度近く倒しても歩けそう(少しオーバーかも)な、感じもした。メガネ、ゴーグルは一切役に立たない。

 皆はずしていた。視力の悪い白井は歩く感覚がつかめず歩きずらそうだった。体力抜群の高梨はまだまだ余裕が有りそうである。しかしその余裕が後で己に災い??をもたらすとは。何時間が過ぎたのだろう。ひたすら風に逆らい歩きつづける。途中会の留守本部に電話連絡を入れ退却中であることを告げる。そして又前進、後ろで歩く趙の荒い息使いが風雪交じりに聞こえる。 だいぶ辛そうだ、しかし歩き続けるしかない。なんとか大天井、燕岳間の蛙岩までたどり着き本日始めての休憩、ああタバコがうまい。ようやく皆で一息ついた。ココまで来ればと言う思いも有ったが緊張感は無くしたくない。さあもう少しで燕山荘だ。出発、およそ1ピッチで小屋到着、そのまま合戦小屋へと足を進める。小屋到着、テントを張り皆、中になだれ込む。朝7時半に出発してすでに4時近い、ほぼ8時間強歩きつづけた。テントの中では体が暖まってくるに従いメンバーの重い口が開き始める。とくに男性軍は、そりゃもう健闘を湛え合い大騒ぎ、それは、、、、8時間強の烈風に耐え抜いた不屈のパーテイに対する、尊敬してやまぬ、讃歌の儀式である。  しかし、、、、、、、、、、長時間の風雪にさらされた新人の趙永愛は烈風の悪夢から目が覚めずテントの片隅で一人震えていた。

 ちなみに本日のメンバーの健康状況
  高梨=顔面左半分凍傷2・5度
  白井=両目の周り凍傷1度
  趙=左目の上凍傷1・5度及びショック性精神的脳障害大
  渡辺=左手首凍傷2度

 そして酒は一人(趙を除く)ペットボトルのふた二杯弱。

 一月三日最終下山日、昨日一晩中降り続いた雪は50センチ位積っている。しかし後は全て下りなので気が楽だ。途中一人のラッセル泥棒を従え中房温泉へと下山。タクシーを呼ぶ。ココから宮城の車止めまで約12キロ、林道ではそれぞれのペースが違うので皆ばらけてしまう。昨夜おとなしかった趙さんも今日はケロリとして山の歌を連発していた。どうやら雰囲気としては12キロ1ピッチで下るみたいだ。高梨アクセル全開、趙もターボを効かせて行ってしまう。白井は後方で転倒、途中一人ぼっちに成り、いい加減うんざりするほど歩きプラスチックブーツの痛さで泣きが入る頃、宮城の車止めゲートが見えてきた。そして、そこには私の希望の星である一台のタクシーがひっそりと待っていてくれた。
ああ、、、 もう歩かなくて済む、、、。

メンバー  高梨仁  白井浩司  趙永愛  渡辺浩之

                             渡辺 浩之




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