ちばやま

ちば山の会2001年2月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821



私と山


 輝かしい21世紀の幕開けは、皆様いががお過ごしでしたでしょうか?
 昨年秋霜の頃、耳下腺腫瘍が見つかり、暮れの押し迫った12月中旬入院摘出手術をするため、山の本、雑誌を抱えこみ闘病生活となりました。全身麻酔からくる嘔吐に少し悩まされましたが、12月28日、顔面の痛み、痺れと包帯付きで退院しました。一家の主婦としては暮は、やる事が山のよう、大掃除、おせち作り、買い物、年賀状も書いてない、、、、という間に体調も崩し、本当に何も出来ない寝正月となりました。こんな山を私は望んでいるのでは有りませんでした。

 雪山に行きたいな。でも術後の経過も悪く体調もなかなか回復せず、自信も無く憂鬱な時を過ごしていました。そんな時、ちば山メールで北八ヶ岳温泉山行が目にとまりました。
 八ヶ岳連峰は私が初めに冬山の虜になった北横岳があります。あの凛々とした肌を刺す寒風の中で見た雄大なアルプスの頂き、どこまでも突き抜けるような澄みきったコバルトの青空、天空に一条の雲、全てを被う無垢の世界。

 こんな所で燻っていないで、思いきって行ってみようと決心しました。
 不安と期待が交差する中、リーダの上茂さん、山崎さんに少し事情を説明し、ルートの確認をしました。快く参加させていただき感謝感激。
 1月6日(土)21時、家族の心配をよそに、、、事務所集合。深夜2時半、雪深し稲子湯登山口到着。あまりの寒さで、傷の痛みを忘れていました。重なり合うように寝ていても、放射冷却のためか、−12℃の夜は寝られず、夜の明けるのをじっと待っていました。
 一抹の不安を抱えながらいよいよスタートです。緩やかな坂道を牛のように一歩一歩踏み固めながら、12本のアイゼンが心地よく大地を捕らえます。しらびそ小屋では、リス、小鳥たちが食事中です。硫黄岳の爆裂火口壁も天狗岳も目前にみえます。そこから約1時間半で今日の目的地、本沢温泉幕営地に近く、カモシカが我々を歓待してくれました。
 テントの中では、温かな夕餉、美酒に、楽しい会話、ほてった仲間の顔がランプの下で微笑んでいます。体力的に不安な私を、本当に優しくサポートして頂き、心の温かさに触れました。

 さて、お待ちかね、本邦第2の高所温泉、雲上の野天風呂に寝る前に入ることにしました。外は深々雪が降っています。ヘッドランプと脱衣を入れる大きなビニール袋にタオル1本、滑らないよう気を付けてライトの灯かりだけを頼りに雪道を急ぎます。間もなく、闇の中に、本沢温泉宿の硫黄の臭気と、暖かな灯火がポーと映ります。さらに横の細い道をどんどん登ります。疲れた体と、アルコールの入った体には応えます。更に、雪の急斜面をトラバース、約10分程で川縁の急斜面に温泉はありました。屋根は勿論、脱衣所も囲みも無く、ただ雪の中に四角な木と石の枠があるだけの山峡のお風呂です。
 急いで、湯船に跳び込みました。ああ、、極楽、極楽。
頭に肩に雪が舞い落ちてきます。こんな夜更けではないと、まして、皆で来たから入れたのよね、などと闇の中で語らいながら。
 温まった身体でその夜は熟睡し、テントシューズに入れたホッカイロで、足の親指を火傷してしまいました。そんな失敗をしながら帰りは、新雪を踏んで子供のように雪と戯れながら下山しました。

 いつしか、耳下の包帯や、傷の事、心の痛みもすっかり忘れていたようです。山で沢山の気を貰って元気になったようです。
私にとって、山は生きるパワーの源になるような気がします。一つ一つの山行が、忘れられない私の大切な心のアルバムに収められてゆきます。
 今度はサポートしていただいた恩が何処かで返せるよう、体力、技術を身につけ沢山の山に又挑戦しようと思いました。そして、ちば山の素晴らしい仲間にめぐり逢えたことに深く感謝しています。

                             高野 いづみ




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