ちばやま

ちば山の会2003年12月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

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秋の笊ヶ岳


2003年10月31日〜11月2日
柘植(CL)、今泉、鶴田、加藤、森

10月31日(金)21時30分に千葉市役所に大荷物を背負った6名が集った。橋本さんの車で、笊ヶ岳の麓、雨畑を目指す予定だった。しかし、いきなりのアクシデントが橋本さんを襲い、残念ながら橋本さんは不参加となり、上記5名での出発となった。東関道より首都高、中央道を経て、河口湖ICより一般道へ出た。途中道の駅「なるさわ」での仮眠を考え、テントを張り始めると、警備員に止められる。さすがに数年前のオウム騒動があったせいだろうか、我々がよほど怪しく見えたのかもしれない。結局、張らせてもらえず、そのまま本栖湖方面へ車を走らせる。風穴の駐車場の隅に、テントを張り、軽く宴会をし、笊ヶ岳登山へのモチベーションを高めていった。夜中の1時30分すぎ頃であろうか、テントの外で何やら2人の声、今泉さんが外に顔を出して、声をあげる。すると若い2人の警官であった。富士山周辺は警備が厳しいこと。理由を言い、事なきを得ました。

11月1日、曇り空の中ではあったが、周囲の紅葉は見事なものであった。本栖湖から身延へ、さらに雨畑へと到着した。すっかり天候も回復し、秋のやわらかい日差しが差し込んでいた。気温も高く、少々暑いくらいであった。笊ヶ岳は200名山に数えられ、展望もいいことから、近年登山者も増え、登山口の駐車場は満車であった。周辺の家々を訪ね、駐車させてもらえるスペースを探したが、なかなか見つからなかった。が、優しそうなおばあちゃんが駐車場を空けて、車を止めさせてくれた。

さて、いよいよ標高差2100mの笊ヶ岳登山が始まる。広河原までは紅葉した渓谷を眺めながら、細い林道を歩く。ここからが勝負である。4〜5Lの水を担ぎ、笊ヶ岳の急登をゆっくりと上がっていく。はっきり言って、合戦尾根やぶな立て尾根の比ではなかった。吹き出す汗を拭きながら、周囲の紅葉もあまり見る余裕も無く、黙々と登っていく。広河原から約1時間山の神に到着。一息入れて、再び急登を行く。途中、道も不明瞭であり、やや歩きにくい登山道である。山の神から約2時間30分、今日の宿泊地、桧横手山に着く。山頂は木々に覆われ、展望は無い。しかし、木々の隙間から笊ヶ岳が見える。その山容は天を付くかのごとく、まだ遥か頭上にあった。この地点よりも、700mほど高峰である。しかもまだまだ急登が残っていた。とりあえず、苦しみぬいてここまで荷物を担ぎ上げたことに満足し、我々はほどよく平らな部分を探し、テントを立てて、すぐに宴会モードに突入であった。失った水分を補給するかのように、アルコールを吸収していく。はっきり言って生き返った。夕方4時を回り、それぞれ食事の準備にとりかかる。レトルトのカレーを作る人、ラーメンを作る人、様々であった。

日がどっぷりと暮れ、ランタンの明かりが温かさを保っていた。昨晩の睡眠不足と疲労、アルコールも手伝って、19時に就寝となった。

11月2日(日)、午前4時起床。暗闇の中、テントの外に出た。暖かな朝であった。各々朝食の準備にとりかかる。朝食後、テントに荷物を入れ、軽装で笊ヶ岳山頂を目指した。朝5時45分、東の空が明るくなり始めたころ、出発である。ここから布引岳への急登が始まる。振り返ると富士山の中腹より太陽が顔を出した。約1時間、ようやく布引岳の稜線に出た。すると目の前に南アルプス南部の山々が見え出した。光岳、上河内岳、聖岳、そして赤石岳と堂々とした山並みが続く。布引岳に7時20分頃到着。山頂には3張りのテントがあった。ここまで重い荷を担ぎ上げたのだなあ、と感心してしまった。ここから笊ヶ岳まで約1時間、一度200mほど下って、また登り返す。突然、森林限界を突き破って、平らな笊ヶ岳山頂に出た。好天に恵まれ、南アルプスの大パノラマである。先ほどの南部の山々に、荒川三山、塩見岳、そして間ノ岳や北岳、仙丈岳と南アルプス連峰の名高い山々が聳えていた。残念ながら雪をまとった頂きは見えなかったものの、これだけの晴天にこの迫力。感無量である。これだけの急登を上り詰めての山頂に皆、満足感でいっぱいであった。

30分ほど山頂で南アルプスの大展望を満喫したあと、一目散に山頂をあとにして、テン場へ戻り、テントを撤収。大急ぎでこの急坂を転げ落ちていった。登りはあまり余裕が無かったが、下りは周囲を見る余裕が出来ており、1500m付近の見事な紅葉に目が奪われた。

15時30分、雨畑に無事下山。駐車場に戻り、急いで駐車場を貸してくれたお婆さんを探した。さすがに何処の家か分らず困っていると、畑仕事から戻ってきて、家に案内してくれて、お茶や煮物、たくわん、お菓子を出してくれた。空腹の我々にはご馳走であった。お婆ちゃん、(名前は望月さん)にお礼を言い雨畑を出発した。 ここからが大変であった。身延を抜けて、本栖湖へ。ここから河口湖ICまでは道は渋滞であった。さらに中央道に入り、大月から小仏トンネルまではお決まりの大渋滞。途中、談合坂SAで夕食、この渋滞を抜けるのに3時間かかった。その後の首都高は渋滞なし、でも結局千葉市役所へは23時45分着であった。なんとかその日のうちに到着はできた。

渋滞にはまいったが、天候に恵まれ、満足感いっぱいの笊ヶ岳であった。


                         柘植(記)

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