ちばやま

ちば山の会2003年12月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel%Fax 043-255-9821



私の大事な山岳事故の記念品


私が山を本格的に始めて、3年目位たった21歳の夏の穂高岳涸沢での出来事について、

このところの「ちば山の会」での遭難防止対策に話題が集まっているのを機会に机の中にしまって久しいクリスタルガラスと文字盤が飛び金属バンドが切れた腕時計 及び 山用具タンスの中に眠るボロボロのサブザックを取り出し眺めて見ました。

これは私にとって大変に大事な若き頃の無鉄砲を戒める記念品です。

当時の私は山岳組織に入会し3年目で、覚えた技術と、同年代で同レベルの3人のパートナーと岩が攀じ登りたくて、攀じ登りたくて、怖さをまったく知らない(当時、母に死んでも後悔はしないだの言って、兄にひどくしかられた事も有りました。)自分で、目の前にある山だけが見えていた時期でした。

あの時は涸沢のベースキャンプを朝でて、3・4コルから北尾根を越え急な雪渓を下降し、右岩稜〜Aフェースを登り、そのスケールに圧倒され、又 岩場の混雑と真夏の太陽で水も無くなりやっと前穂高山頂に辿り着き、とにかく早く涸沢に帰りたく、北尾根3・4コルから往路(涸沢雪渓を下降)を辿り帰る事にして、下山を始めました。 そこで、実は前日もその雪渓を下降していて、その時は慎重に慎重に下降し、グリセードをやったのは最大傾斜角を過ぎて、途中の一部にあるガレ場を迂回してから行いました。

そして運命の今回は前日の記憶があり、こんな物たいした事ないと軽視した心と慢心と怖さを知らない為、今回ははるか上部からグリセードを始め、途中のガレはグリセードをやりながら、迂回できると考えスタートしました。

 しかし、如何に同じと言えども、滑る所は多少の違いは有る物で、運悪く、大きなギャップにバウンドして頭から転倒し雪渓上を最大傾斜に向かい真っさかま、もちろん覚えた、滑落停止姿勢に入るため、体制を(上下の)入れ替える動作に入りましたが。時すでに遅く、すごいスピードのままガレに突入し、一瞬 爆発したような(爆発はどんな物か?)衝撃と空白(真っ白?)になり停止しました。

(その時、友人は上で見ていて死んだと思ったとの事)また 私は気がつくと左腕手首は、くの字に曲がっていて、顔には血が滴っていました。 でも、不思議とパサパサしていてパニックには到らず自分で手を脇の下と腰の間に置き、タバコを取り出そうとして居ましたが見ると、服もズボンもザックも乞食みたいにボロボロでたばこなど何処にもありませんでした。 駆けつけた友人や他所の会の方々にタバコをくれが第一声で、皆から呆れられた状態でした。

そんな訳で皆の手助けで(でも自分で歩いた)ザイルでV字確保と周囲を支えられ涸沢診療所まで行き応急手当を受け、友人に2人に3人分の荷物を持たせ、下山し、信州大病院に行くはめになりました。フウフウ言う2人とボロボロの服に腕を吊っている姿に途中の上高地でのギャラリィーの目と言葉は想像ください。

そんな訳で反省は、山を嘗めたらアカン・嘗めたら、手痛いしっぺ返しがある・基礎技術を確実に習得する・常に謙虚に物事を見る・物事を常に前段で考え対策する・本を読み実例等の研究をする・でした。 そんな事をあの記念品は常に言いつづけていますが、又 忘れ様としたので、再び仰ぎ見て、思いを新たにしています。


                         田中(記)

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