ちばやま

ちば山の会2004年06月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

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槍ヶ岳山行記

                  2004年5月GW日      渡辺浩之(記)

 5月の新穂高は信州側の上高地に比べると閑散としている。雑踏の上高地は徳沢あたりを過ぎると登山者の世界に入るが岐阜県側は新穂高のロープ―ウエイ乗り場を過ぎるとすでに岳人の世界となる。何時もの通りなれた林道を過ぎデブリの堆積した滝谷出合を越え槍平に着く。日ごろの不摂生がたたるこの体。明日の槍は大丈夫だろうか。ココまででもバテバテなのだ。メンバーは吉田さん。元会員の植松千絵嬢の3人。

 槍平は10パーテイほどがテントを張っていた。テントを張り早速宴会に入るが今回酒を飲むのは自分1人である。他のメンバーに酒を掠め取られる心配がない余裕の宴会は宵の明星がテントを照らすまで続いた。翌朝4時半起床。出発は6時近くなってしまう。この人数での出発時間としては怠慢である。春の底雪崩を警戒するにはスピードが第一であり、リスクを背負う以上危険地帯には最小の時間で通過しなければいけない。

 1時間半ほど歩き飛騨沢大喰西尾根の分岐点である宝の木に到着。14〜5年前厳冬の下山時に自分を帰路の証として堂々と迎えてくれた通称宝の木は今も凄然と圧倒的な存在感で立っている大きなダケカンバの木である。3人少し間隔を開け雪の斜面を飛騨乗越目指して登る。後ろを見れば笠ヶ岳連山・双六・三又蓮華等の絶景が登りの苦しさで喘ぐ体を応援してくれる。千絵嬢は若さと日ごろのトレーニングが物を言い、順調に吉田さんと共に付いて来た。槍平出発組では1番遅いスタートではあったがほとんどのパーテイを追い越してしまう。ほぼ1年ぶり下界で怠慢の飽食生活を送っていた己としては未だ体力は落ちてないなと少し自信が出る。

 飛騨乗越少し手前で槍が見えた。日本最高所の峠である乗越を越え槍岳山荘を横切り穂先を登り始める。少し穂先を登り始めた所で岐阜県警のヘリコプターが山荘の脇でタッチアンドゴーの練習を3回ほどしていた。目の前で見る迫力万点の航空ショーではあるがバランスを崩したらこっちも巻き添えになる危険があるので恐ろしい。そして程なく槍の頂上に皆登頂。紺碧の大空が我々を向い入れた。千絵嬢は久々の雪山に感激だ。我パーテイ最高齢の吉田さん? 遠い昔、膝小僧を傷だらけにして野山を走り回る少年のような目をしていた。

 ほんの何分か前、同じ会の大塚嬢からも穂高登頂の連絡が有ったので穂高パーテイとも一体感が沸いた。下山は登りより危険も多くクライムダウンを多用し肩へと降りる。山荘の前でしばし休憩し下山開始。飛騨乗越から宝の木までは軽くワンピッチで到着。北アルプス裏銀座の大絶景を堪能しながら何時までもメンバーと語り合う。目の前では広大な飛騨沢にシュプールを描くテレマーカーが滑り降りていく。一瞬1月ほど前に手に入れたテレマークスキー1式の事を思い出す。『俺もあんな風に滑りてえなー』。槍平のテント場には3時少し前に着いた。入山日・登頂日共に最高の天気だが明日以降は下り坂になるとの事。贅沢は言えない。夜半に雨がテントを叩いたが朝には止んでいた。

 テントを撤収し下山。途中フキノトウを取り家への土産とする。新穂高では無料の温泉に入り千葉へと向かったが途中15キロ・10キロ・27キロと渋滞の嵐が我々を襲い今回の山行は終了した。 

                         

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