ちばやま

ちば山の会1998年10月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821

<<新人歓迎会 後記>>    −8月29〜30日 倉田洋二―

 「大雨により川が決壊し・・・」というニュースひっきりなしに流れている。ベルーか中国か・・ と思っていたらなんと国内でそれも関東だという。しかし千葉は小雨も降らない。ので他人事のよう に考えていたら そうか、今週は新歓だった!沢登りだった。ちょうどはかったように台風が直撃し、 丹沢も大雨になるという。とりあえず先発組は集合し検討を始める。食料を買って段取りしている以 上、全面中止はありえなかった。決死の覚悟で挑んだ。が、話はまとまっておりまたまた”小倉ハウ ス”を利用させていただく事になった。正に「困った時の小倉ハウス」である。いつも小倉さんがお っしゃる「人がいない家などただの箱でしかない。遠慮なく使ってほしい。」と5・6年もかけて完 全自力で造った夢の別荘を心おきなく提供してくれる。私はその言葉をそのまま受けてそうかそうか とどっふり使わせてもらっているがいつも感謝の気持ちでいっばいである。(本当です)みなさん、 この恩は会に還元することによって昇華するのです。1人1人できる事をできるだけ、協力しましょ う。(特になにもしない私の心の叫び。)  さて話は元に戻り、小倉ハウスで話がまとまったので各所に連絡を取る。バタバタとなんとか片付 けて完全に山に行くつもりだった新人の方々は金曜の夜のこの日から小倉ハウスに行ってもらった。 私はこんな時くらいしかできない家の整理や仕事をするために土曜に行くことにした。森さんと合流 し森KIDSとともの小倉邸に入る。先発隊の人々が楽しそうに降りて来る。なかなか楽しそうだ。 さっそく準備に入ろうとするがカヌーをしているので安全管理のため仕方なくカヌー遊びに付き合う。 カヌー遊びの監視巡回をしおわる頃、料理の準備も進み、焼肉体勢に入る。食事に毒物が入っていな いか自分の身を犠牲にしてチェックして回るも特にビールとカルビには注意を注ぎ、念入りにチェッ クする。かなりの人が集まり、ビールもまわり出す。そろそろ点火式を行おうと、灯油と花火をセッ トしたヤグラにKIDSとパー子に点火ざせる。火がついたつかないでバタバタしている内に「ドー ン」と九尺はあろうかという大玉の花火が打ち上がる。約4000発ほど打ち終わるとようやく静か になり拍手とともに開会した。どんどんヒートアップしていく宴会はあっという間に過ぎ、未知なる 生命“新人”を研究するには素晴しい機会だったと思う。(未知ではない新人もいるが・・)途中、 森氏のバラズシヨーナーを設け室内での会食となった。そんな中俊さんのインターネットアンケート や新人、旧人自己を行い”集中、集中”でとても身のある時間だった。竹内、長岡のジョイントオカ リナバンド”ゴリラッパー”の演奏は自己満足に終始し、心温かい拍手を浴びていた。そんな前座に 不満足ながら周りの人々の切望に満ちた声に私は重い腰を上げ、あの武道館以来封印したギターに手 を伸ばした。本来ならどんなに頼まれても惰性でギターをひく事なかったが強い責任感に動かされた。 数年来ひかれる事のなかったギターは、溢れるようなメロディと真綿のようにやわらかい音質で存分 に曲をを奏でた。ひとしきりみな満足すると家の中に入りトークを楽しんだ。一番楽しかったのが消 防団の話だ。自井さんや橘さんが新鮮な話でアウターゾ一ンを知る事ができた。まるっきり軍人の様 な内容でおもしろい。かなり飲んで寝た。 翌朝、朝食を食べ、片付けをしそれぞれ帰宅。とても楽しく充実し内容の濃い新歓だったと自負し ております。いろいろ問題はあったようですが、今回の“後記”の目的とは合わないのであえて何も 書かなかったが、1つ私の気持ち的まとめを書きたいと思います。1つ“コト”が発生するとその責 任とそれに対する対応、そして結論を求められます。これは遊びも仕事も同様で、合理的社会にドッ プリな我々は反射的にそれを行ってしまう。しかし我々は人間でありその行く末はコントロール不可 で運命なのか“神の御手”なのか、いずれにしてもコントロール不可だ。そんな人間がより集まって お互いの運命に引きずられながら互いに影響し合って生きていくのが社会だと私は思う。その結果が 良きにつけ悪きにつけである。そんな人間くさい社会の方が楽しいし人生という気がする。だからみ んな平和を守るのは機械的システムやルールでなくほんの少しの気遣いと大いなる“愛”ではないだ ろうかと私は思う。      ―平成10年度新人歓迦会実行委員長 倉田洋二―
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