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ちばやまの会 山スキーの部屋
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芝倉岳山スキーの記録  4月7日 

行動記録 天気:曇りのち晴れ

時間 位置 高度
7:35 天神平ロープウェイ山頂駅   
   ― 天神尾根  
11:40 谷川岳 1963m
12:20 一の倉岳 1974m
   ― 芝倉沢滑降   
   ― 湯檜曽川に沿って横走  
  天神平ロープウェイ山頂駅   

前日までの天気予報では、好転の兆しがみられないため、船山の植草さんに山行中止の連絡をした。しかし4月は7日のみしか日程の空きがなく、この時期を逃しては念願がかなえられないと考え、諦め切れないまま6日の夜10時過ぎになり、予報をあらためて検討した。新潟は朝には雨が上がり晴れ、群馬は曇りベースである。植草さんには悪いが今更誘い直すわけにはいかず、再度決行の方向で意を決した。情報はかなり収集したものの、初挑戦のコースであり、単独ではやや不安、天気が好転しなければ天神平の周辺でお茶を濁してもよい、無理をしないようにと自分に言い聞かせ床に入った。

7日2時半に起床。山行の前日には興奮のため、いつも寝つきが悪いが、何とか3時間余りの睡眠はとれた。自分にとっては日帰り山行の場合、体力的には2,3時間の睡眠で十分である。インターネットの「ひまわり」のリアルタイム天気図では、予想どおり、まさに前線が日本を通過中、迷いもなく雨の中、愛車を駆り立て一路天神平に向かった。

アイゼンツボ足で7:35に山頂駅を出発する頃には、曇り空は明るさを増し好転の兆しがみられてきた。8時半頃天神尾根のなだらかな上りで、仙ノ倉、万太郎の素晴らしい山々が雲の切れ間から望まれ、気分は高揚してきた。下山連絡者の会長に昨日中止の連絡を入れたが、無届山行では、やや危険性があり、せめて捜索費用は保険からと思い、携帯で入山報告を行った。この時期の天気変化は微妙であり、今回は予想以上に好転、谷川岳の山頂に着く頃には晴間が覗き、以後急速に回復、一の倉頂上では快晴無風、気温も上がり過ぎず、絶好の山スキー日和となった。

谷川岳から一の倉岳までは慎重に足場を選んだ。踏み抜きが数回あったが、もっと気温が上昇し雪が腐ると踏み抜きにより体力を消耗することであろう。天気もよく、比較的順調なアイゼンツボ足登行で谷川の山々の景色や、「のぞき」を楽しめたが、一の倉の最後の急登では、暑い紫外線を浴び、53歳の年齢のためか、さすがにバテバテの状態で滑り出し地点に到達した。

20分ほど休憩し、いよいよ憧れの芝倉沢の滑降である。カールボーデン状の広大な急斜面(滑り出しは35度強)は、やや硬い雪質ながら滑りやすく慎重にジャンプテレマークで高度を下げた。間もなく25度くらいの適度で快適な斜面になった。この広大な標高差約300mの大斜面を一人占めにした。カールの末端のS字状といわれる狭い屈曲部に近づくとデブリが現れ始めた。気持ちを引き締めて、スピーデイに行動しなければならない。徐々にブロック雪崩れによるデブリ箇所が多数現れたが、左右には滑降には殆ど支障にはならない広さの斜面は残っていた。(枯草の混じったデブリ上を数メートル横断しなければならない所が一箇所あった。)気温が上がり過ぎないせいか、標高差1200mの芝倉沢は最後まで滑りやすい雪質であり、また一箇所を除いてデブリはかなり古いものであった。(当日、沢の下方で雪訓中の方からのメール10時から11時の間に小雪崩れが2回あったことが確認されたが、その一つの新しいデブリを通過中確認できた。雪崩れの発生しやすい時間、天気状況を判断する上での参考になった。)

前日のものと思われる2,3本のシュプールがみられたが、7日は私がトップであり、豪快で素晴らしい静かなコースに思う存分シュプールを刻むことができました。湯檜曽川に沿っての横行では、雪解けが早いため、3箇所渡渉が必要であったが、水量もまだ少なく、濡らすほどではなかった。

感想:前年までこれほどのコースを滑れるとは考えてもいなかった。

テレマーク技術は、ことある毎に日頃から練習しており、かなり自信がついてきたため、コースの情報収集と、当日の種々の状況判断がもっとも重要であろう。コース状況はホームページや山スキーMLなどでインターネットにより、かなりのことが収集でき活用すべきである。

山スキーは危険性がかなり伴うもので、とくに天候の判断が最重要ポイントである。単独での初挑戦が多かったため、天気が安定している日のピストンコースを選択することが多かった。

私は、18歳まで新潟市で暮らしたが、谷川は怖い遭難をイメージする山であった。学生の頃、春休みに交通費がもったいないため、実家への途中、水上で下車し天神平スキー場で数回滑った経験はある。田尻沢コースは素晴らしかったが、滑降中転倒し大木に激突して死んだ人がいる。春の白く輝く谷川岳を天神平から眺めたであろうが、その頃登山への憧れはあまりなかった。

いつのまにか、山登りに熱中するようになり、百名山病に罹患してしまった。完結するまで治癒の見込みはない。当然谷川岳も対象である。家族で2,3回一の倉沢を下から眺めたことがあるが、きまって上部は暗い雲で覆われていた。谷川は天気の悪い安定しない山であり、やはり遭難が怖いというイメージが続いた。5,6年前7月下旬の快晴の日を選んで巌剛新道より、やはり単独で百名山をこなすべく、大汗をかき、もくもくと山頂を目指した。マチガ沢の雪渓、オキの耳からの一の倉沢の怖い眺め、など印象に残っているが、百名山の一つとして登ったに過ぎなかった。

それが今回の芝倉沢山スキーを経験し考えが一変した。ちば山に入会し、皆さんが谷川、谷川と岩登りに、沢登りに、縦走に、『倉田さんの送別山行』、『35周年山行』などなどに、たびたび計画されている。今回を契機に、私も谷川ファンになったようです。なにしろ千葉から近い。危険性もあるが、十分情報を収集・分析し、いろいろなコースを歩いてみたいし、滑降してみたいと考えている。



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