| ちばやま
|
ちば山の会2000年4月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方
Tel・Fax 043-255-9821
|
私の救助活動
3月15日昼過ぎ、、、救助隊員を乗せた防災ヘリが飛び立った。午前中は視界が悪くヘリも飛べなかった。それを見上げていると、「次は俺達だ!」と声がかかる。私たち4次隊の4人は前日から参加している救助隊の方達との交代要員としての入山である。私の実力では肩の小屋近辺での手伝い程度しか役に立たないかも知れない(私以外の3人はエキスパート)けれど、みんなと同じつもりで気を引き締める。明日からは悪天候が予想されるので、今日中に救出を成功させなければならないと誰もが思う。
天気の様子を見つつ東邦航空による救出劇が始まった。さすがに県警のヘリより小型で小回りが利きそ
うだ。そのヘリに隊員がぶら下がって救助に向かった。
少しして大江さんをぶら下げたヘリが帰ってきた。自分でワイヤーに捕まっていたので元気そうだ!こ
の時点で私たちの仕事はヘリポートでの作業に変わった。降ろされた大江さんのフィックスを外し救急車
に運び込む、そういえば先月この訓練したばかりだった。 続いて中代さんも同じように救出された。残るは吉尾さん、、、、、、、、
給油を終えたヘリが吉尾さんの救出に向かう。残念ながらこの時には救出という言葉ではなくなっていた。それでも無線で安否を聞くと、「ここには医者がいないので生死の判断はできない。意識はないけど。」の答えが返ってくる、、、、マスコミが聞き耳を立てているのでやたらなことは言えない。
古尾さんはモッコに入って帰ってきた。冷たくなった吉尾さんを泣きながら運んだ、、、「吉尾さん、なんでこんな事にになっちまったたんだ、、、」なんて鳴き声が聞こえる。
警察の車が到着して吉尾さんを運び入れる。乗り出してカメラを構えるマスコミを封鎖するのも私たち
の仕事だった。
最前線の救助活動は終わり、救助隊員たちがヘリにぶら下がったモッコに包まれ、折り重なって帰って
きた。フイックスを外すかたわら「ご苦労様」と声を掛けるが、「でも吉尾さんが、、、」、、、、みんな無念の表情をしている。
ヘリで降りられなかった隊員はフィックスロープ回収後に歩いて下山した。私は田尻沢出会いで隊員を
待って、山の家へ運んだ。加代ちやんが交信の終丁を宣言して、一連の救出作戦はとりあえず終了した。
帰りに吉尾さんと最後の別れをした。何も言わずに横たわる本人、スナップ写真のような遺影、そして
次に目に飛び込んだのは、、、、主人を失ったザックやザイル、山靴にアイゼン達だった。あ〜〜もう涙が止まらない。それまで、勢いに乗って救助活動(ただの手伝いだけど)していたけど、急に時間が止まった感じがして、ホントに涙が止まらない、言葉も出ない。
吉尾さん安らかにお休みください。大江さん、中台さん、一日も早い回復を願っています。
ちなみに今回救出された大江さんは、1995年5月にちば山恒例のヒウチヶ岳の山行に参加しています。
救助隊に参加された方、千葉で本部を担当された方、ご苦労様でした。そして今尚、事後処理に追われて
いる皆さん、大変だとは思いますが頑張って下さい。
吉尾さんの存在は勿論、今回の事件に参加した人の行動や、経験は、これからの安全登山の一役を担う
ものになると信じています。
白井 浩司
BACK