ちばやま

ちば山の会2000年5月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821


救助隊活動で感じたこと その2


先日の救助に参加したメンバーの反省と感じたことを箇条書きでまとめてみました。
   協力:小倉(時)、自石(敏、美穂)、飯塚加代子 文責:白井

4.駐車場(ヘリポート)にて
救出者、家族にマスコミが群がるので、なるべく防ぎたい。警察から、「壁を作って下さい」の指示もあった。
救出者のヘリが到着したとき、救急車が到着していなかったら、保護する場所を確保する。今回は首尾さんが降ろされてから、県警の車が到着するまでの間は、個人の車の中で保護した。
ヘリから救急車まで人間担架で運ぶのも仕事。
今回ヘリポートで記録を取っている人がいなかった。時間はもちろんだけど写真だけでも撮っていれば、重要な救出法の記録だった。
5.現地までの車のこと
松戸の中野さんは、仕事の都合でいく事ができないとの事だったので、夜中車を運転し、谷川まで皆を送り戻っていったとの事。例え仕事があっても、こういう救助活動への参加もあるのだなと感嘆しました。
シャンテの林さんは、谷川に行く人に車を提供してくれました。デリカでスタットレスタイヤで、四駆だからです。林さんと野田さんは千葉にいました。
慣れていない時間帯運転だったので、一層安全運転を心がける。
救助隊として前線に出る人は運転から外すべき。
6.現地本部?(登山指導センター、上合山の家)のこと
下にいた者としては今回の一番の失敗ほどこが本部なのか誰にも分からなかったこと(決めていない)だったと思います。
もし二重道難が起きていたら下では何も把握できない。誰が事故に道ったのかも分からないといった事態になっていたと思います。
判断のできる人が、情報の集積場所(現地本部)に必ずいるべき。
誰がいつ入出したのか?いつ下山したのかを?チェンクする場所を―ヶ所にして、下出した救助隊員は必ずそこに報告する。参加した救助隊員の名簿はあったが、誰が何時入山して、誰が何時下山したのか?地元に帰ったのか?土合に残っているのか? まだ山の上にいるのか? ほとんど把握できていなかった。
暗間の中下山する隊員の名前と人数をチェックしましたが、手際が悪く、「慣れてねえな〜」と叱られました。
帰ってきた救助隊員へのねぎらいが足らないとの指摘があり叱られた。指揮者はそれどころでは無いので、指示が無くても気付く必要があった。
帰ってきた救助隊員に今後の予定を指示する人がいなかった(予め決めていなかった)。指揮者は本部を離れないべき。
病院への家族の輸送、救助隊の輸送等、現地で運転手に徹する人は必要。(今回は小倉さん)
救出者の介護は1人につき1人が専門に付いた方が良いのでは?救急車は1人ずつ運ぶので、そのつど付き添いが必要。たとえ病室であっても、一時でも目を離すとマスコミはけが人に近づいていく。救出者が女性の時は女性が付いた方が良いかも。
その場を統率する人は、長くそこにとどまれる人(流れが把握できている人)の方が良いのでは?
携帯電話、無線機の充電器を忘れずに。
7.地元本部のこと
メインの電話は受信専用。なるべくそこには電話しない。長電話はしない。
必要な連絡先は、どんどん壁に掲示する。出来事、会話を記録する。
二重遭難防止に向けて、県連事務所を出発する時、名前、住所電話、保険の回数を記載しました。これは良かったと思います。
8.連絡体制のこと
救助隊参加を依頼されたとき電話の答えがNo!なら、その理由を詳しく説明する必要は無い。(依頼する人は、一刻も早く次の人に電話したい。)
地元本部、現地本部、最前線の連絡先はそれぞれ―ヶ所に。その番号は受信専用で、余計な電話は入れない。簡潔に要点だけを話す。暖味な話はしない。通信記録は完全に記録する。
緊急時なので無免許でも無線を使えるが、最低限の交信のし方(使い方ではなく)は教えてから使うようにしたい。
無線ではやたらなことは言わない。(マスコミが聞いている。)

以上、気づいたことと、頭に入れて置かねばならないことをまとめてみました。

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