| ちばやま
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ちば山の会2000年8月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方
Tel・Fax 043-255-9821
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落ちちゃいました!!
いつか起こるだろうと思っていたが、当然何時起きてもおかしくないと常に思ってはいたが、ついに起きてしまった。
今シーズン初めて谷川が晴れた!快晴!とても暑い。これはダイレクトカンテに行くしかない!といつも通りビビリ気味の心に鞭打って出発の準備をしていた。思えばこの時のためにとても苦労している。今回まで3週連続で谷川がつぶれ、今回やっと行けたが、原見さん(パートナー/松戸)の車が調子悪く、電車で行くこととなったので非常にきつい時間行程で、やっと電車に飛び乗った。
相変わらず沈痛な面持ちの衝立についたのが7:30ごろ。悪い悪い草つきを登り1ピッチ原見。難なくリード。フォローしてても怖いのに、ほどんどピンなしのルート。2ピッチ倉田。二度目なので問題なく行くが、完全にフリーになることろが有り、鎧→フリーという最も怖いことをする。意外と出来るようになっているので、ちょっと慢心(これが後になって効いてくる)。何箇所か遠いところもあるが、バテながら長い長いピッチを終る。こんなに時間をかけていてはとても雲稜は無理だと思った。最後のフリーになるところで、先行パーティーが懸垂。理由不明。「ご迷惑をおかけします。」にこやかに微笑む私。後に我々がこの言葉を連発することになる。3ピッチ原見。少しバテ気味で早く抜けたいという気持ちが強くなる。あと2ピッチ。かなりかぶっているが、今までよりは楽という。悪いテラスで姿勢を何度も変えながら待っていると意外と早く抜けたので、力を振り絞り登りきる。確かに今までよりは楽にはなっているがパワー不足を感じる。休み休み行くが、何とかテラスに出ると原見さんが鎧でビレイしているので驚く。「悪いけどそのまま抜けて。」確かに二人休む場所はなく、少しげんなりしながらのろのろ先へ向かう。カラビナを受け取り最後のピッチだと何とか自分をごまかし登る。
こんなモチベーションで雲稜行にけるのか本当に不安になっていた。最後のカラビナを受け取る時、何を思ったか原見さんはそれを引ったくり1本目のランニングとした。リングボルトである。そのことは深く考えずピッチを伸ばすが、下がったモチベーションでは傾斜がゆるいとはいえ、かなり遠くにあるハーケンはとても憎らしく見え、また片足だがフリーになった状態で鎧を賭けに行く。何とか比較的しっかりしたシュリンゲにかけて、少し安心する。が、フィーフィーが前のハーケンに掛かっていて、それを外す仕事と、さっきの原見さんがとってくれたランニングから何も取っていないので、それを取る仕事が残っていた。まずフィーフィーから。それを外すのに少し体をゆすって、フィーフィーに掛かっている荷重をなくしその勢いで外した。
そこからの記憶は、体が落ちるという感覚と、それにもかかわらず止まらないので変だなという意識と、次に原見さんがすごい勢いで上に跳んでいくのと、その「あれ」という声が聞こえる。ザイルがあることが意識の中にはなく、こりゃだめだという諦めがつき、不思議と死にたくないとは思わなかった。その一瞬の間に体は上向きになっていたようで、強烈にさば折状態になった。ザイルが止まったのだ!うめき声が自然と出るのと、一気に現実に戻り、腰が折れていないか、脚、腕が折れていないか確認した。たいして痛いところがない。次は宙ずりから戻れるかあたりを探すと、なんとリングボルト3本も打った岩が目の前にある。慌てて飛びついてセルフビレイ。ほっとするどころではない。「大丈夫か!!」との声に慌てて返事をする。「おりよっか〜」その原見さんのなんとも日常的な響きのある言葉にとてもホッとした。こんな状況下でこんな言葉を出せる人はそうはいないだろう。兎に角慌てず無事に家に帰ることだけ考えて、ゆっくり懸垂の準備をした。蜂蜜すったり、ポカリ飲んだりして何とか落ち着こうとするが、逆にホカゴトばかり考えて、非現実的空想にとりつかれてどうも判断力が弱っているようだ。「懸垂大丈夫かな」という問いにも「支取りながら降りれば大丈夫でしょう。」と安易に答える。場所が悪いので私から懸垂するが、空中懸垂になるのに手袋もせず、と言うか空中懸垂になることも自覚してないような感じで安易に懸垂してしまった。すぐ下に終了点が見えたので簡単な気持ちで降りてしまった。良く見ればかぶっており、そのまま行くと岩から離れてしまいにっちもさっちも行かなくなってしまう。気が付いた時はもう遅く、徐々に高度が下がり岩をキックして降りていたが、だんだん届かなくなり、終了点のシュリンゲを何とかつかんだが手が外れてしまった。すっかり振り子も止まってしまい、終了点の前で何とかエイト環を殺す。やり方が適当な為に、カラビナを3枚も使いぐちゃぐちゃだ。又再び死の恐怖と面を付き合わせることとなった。いい加減に帰してくれーと叫びたかった。あんな汚い部屋でも帰りたくてしょうがなくなった。どうも死ぬことばかり考えるようになってしまっている。さっきから下の人が、ザイル届いていないとか、ユマールもってますかと心配してくれている。「持ってません。」・・・情けないがもうこの人たちに頼るしかないようだ。兎に角助かりたいのだ。何とも親切に途中まで登ってきてくれるようなのだ。その時は分からなかったが、ザイルの届くところにリングボルトを打ってくれて、そこに終了点を作ってくれるというのだ。そこまで登ってきてくれる間何を考えればよいのか。兎に角早く登ってきて欲しくて気はあせるが、どんどん足がしびれてきた。幅広のレッグループタイプのハーネスだが、長時間釣り下がっていれば血も止まり、どんなに姿勢を変えてもとても痛い。これがシットハーネスなら大変だった。足の感覚はなくなり、兎に角ホカゴトを考えるようにした。谷川はきれいだななんて思ってみたが、冗談じゃないもう来たくないと思い返したり。そしてビールが飲みたいとか、飯を食べたいとか。とても長い長い宙ずりだった。ふと目の前の小枝には、抜けたハーケンとシュリンゲがちゃんと乗っかっておりました。同じところに宙ずりとはいやみなものである。やっと設置完了した終了点にぐちゃぐちゃのエイト環を何とかからめながら降りて、シュリンゲで引っ張ってもらいとうとうセルフビレイを取る。ほーーーー。その間何度か原見さんが声をかけてくれたが鎧ビレイの状態で、長時間状況のわからないまま待っていたのもとてもきつかったでしょう。原見さんも無事終了点に着き、2ピッチ取り付きに何とかたどり着いた。私は兎に角足のつけ根が痛くて、地面に立てることが最高に嬉しかった。そこで我々にウーロン茶を振舞う我らがヒーローは、新潟大学山岳部、安藤氏、同OB村越氏です。我々ひよっことは違うアメリカンエイド、すなわち抜けそうな残置などに頼らない自ら支点を作り登っていく技術で、非常にあこがれるハイレベルな登攀者であった。その恩に着せないさわやかな言動に、自分もこうありたいと思い、レベルの差を思い知るのであった。ここから二人は、異常にゆっくり(私がまともに歩けない)、慎重に草つき帯、テールリッジという難関を無事突破したのであった。帰りの道々、二人とも「ハーケンって抜けるんだね」とか「生きているって素晴らしい」とか連発していました。
以上あわや救助隊という感じの山行は終ったのであったが、二人で話し合った結果、やはり最高の結果と、最悪の結果がどんな山行にも有って、その間に無数の結果が用意されているとすると、それぞれ同じように起こる可能性があるわけで、南稜と今回のルートでは、今回のほうがより"悪い結果のほうが幅をきかせている"のだと。更にこれから登るルートはどんどん悪い結果の可能性が幅をきかせてくるのだから、その分その悪い結果を飲み込める技量が求められるのだろうと。南稜ではユマールもチェストベルトも要らなかったが、衝立では必要なのだ。そうやってレベルを少しづつ上げることが正解で、南稜に行くにも人工壁を登るにもチェストハーネスだ、搬出法だ、自己脱出だというのは誤解を恐れず言えば少し変なのです。
倉田 洋二
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