| ちばやま
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ちば山の会2000年9月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方
Tel・Fax 043-255-9821
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飯豊連峰登頂記
8/10 計画では前夜夜行で出発だったが仕事の都合で早朝出発と相成った。
予定では今日中に西穂山荘に到着すればよいのだからと勝手に判断した出発でした。
上高地で計画書を提出後、河童橋を渡り対岸を30分程戻る。ウェストン碑の前を通り田代橋の所で小屋があり何か知らんと見ると西穂高岳登山口とある。ここにも登山ポストがあったが知っていれば帝国ホテル前でバスを下車し、そのまま田代橋を渡れば良かった。
登山口からは森の中を緩やかに登っていく。やがて水音が左手遙か下に聞こえるようになるとやや傾斜を増してくるが一本立てたくなる頃小沢に掛かる木橋に到着。ここはとても涼しく風が心地よい。
このすぐ上(1800m付近)に豊富な水量の水場があり、のどを潤す(ちなみに最終水源は宝水だが、水流が非常に細く当てにならない)。急登が一段落すると傾斜の緩い広い森の中と言った雰囲気になるがここは迷いやすそうだ。夏期はロープが張っているが積雪期には注意が必要。ここを過ぎると再び傾斜が増すが大したことなく1950m付近で枯松平と呼ばれる平坦部に出る。テントが数張り張れそうだ。ここからはだらだらと登り、程なく西穂山荘に到着。お花に囲まれた素晴らしいところにテントを張ることが出来た。
8/11 0300に起床したが、星が全く見えずガスも濃い。これからのルートを考えるとルートファインディング可能なのかどうか非常に不安になる。独標へ登っている最中も飛騨側から冷たい霧がびゅうびゅう吹き付ける。
日が昇れば少しはガスが晴れるのでは、と独標で天候の回復を期待したがじっとしていると震えが来る程寒いし、全く視界も効かず、結局あきらめ西穂山荘に引き返した。
8/12 0240に起床。素晴らしい星空だ。心地よい緊張感に包まれながらの準備はこの上ない至福の時だ。
0410出発。前日たどったルートをたどり0515独標に到着(頂上は1張幕営可能、但し直下に松本深志高校の遭難碑があるのが少々辛気臭い)。頂上から短いが両側の切れ落ちた急な岩場を下り西穂高岳に向かう。独標〜西穂高岳間の核心部はここだが三点確保で正対して下降すれば特に困難さはない。
西穂高岳からはこれからたどる山路が望まれ、ピークの同定を行う。いよいよここからが核心部だ。気合いを入れて突入する。ハイマツの生えたナイフリッジの岩稜を進み次のピーク(P1)は頂上で2張幕営可能、P2からは信州側のルンゼを鎖を頼りに下降するが降りきったところを細いバンドをトラバースする。このトラバースのホールドの一つはかなり緩んでおり要注意。下降開始点の鎖の根本に南無阿弥陀仏の遭難碑があるがこれは1996年8月にここで転落死された女性のものである。このときの模様はインターネットでの事前情報収集時に克明に描かれていたが実際に現場に立ってみると生々しい。
次のP3は直下がガラガラの岩の堆積でどこを通っても岩雪崩を誘発しそうだ。事実間の岳への登りの最中、ここで人為的な岩雪崩が発生した。間の岳への登りでは飛騨側に回り込んで岩屑の堆積したルンゼ状の斜面を途中まで登り左へトラバースし、次の赤茶けたルンゼを詰めていく。飛び出したところが間の岳だがそのときはそれと気づかずここで大休止。以前来たときには頂上にペンキで「間の岳」の表示があったのだが先の上高地地震で崩れたのか見あたらなかった。間天のコルは小さな広場となっており、幕営も可能だが間の岳側からの落石も多そうでその気にはなれない。ここから天狗岳への登りは本コース紹介文で必ずと言って良いほど写真に出てくる長い逆層スラブである。このスラブを臨んで初めて現在位置が天狗岳直前であることが判明した。写真では大変な難所のように撮影されているが、これまでの難所と比較するのが可笑しいくらい快適なスラブである。まず直登し、適当なところで右にトラバースしてここを抜ける。本当に簡単にフリーで抜けられる。天狗岳頂上で大休止。0840でここまで来ることが出来たので気が抜けてしまった。
天狗岳から天狗のコルまでは急な下降となる。最後にハング気味のカンテを下降して(ここにはちぎれた鎖が残るのみ)ようやくコルに到着。コルには避難小屋跡と立派な道標があり、本にも岳沢へのエスケープルートとして紹介されているが、畳岩側の一枚スラブには大小さまざまな岩が文字通り引っかかっており落石はすべて岳沢への下降路に集中してくるので極めて危険なルートと思われた。
コルから再び急登となるがこの辺りからガスがわき出し、先が見通せなくなる。延々登下降を続けていたら突然ジャンダルムが見えた。いつの間にか畳岩の頭を越え、コブの頭に到着していたらしい。
ここでルートを目視でたどり、いざジャンダルムへ。岩峰の基部を一旦飛騨側に回り込みそこから信州側寄りにやや斜めに登ると直登方向にペンキ印が見えてくる。ここを適当に直登すればジャンダルム頂上、さらに信州側に斜めに広いバンドをトラバースすれば奥穂方面への巻道となる。自分はもちろん3160mの頂上へ。ここからは奥穂高岳は指呼の間だ。頂上に立つ人々の姿も臨まれる。天狗岳以降気が抜けてペースが落ちたものの正午前にここまで来ることが出来たのでさらに気が抜ける。
頂上を後にし、先ほどの信州側の巻道を通り、ロバの耳に向かう。小ピークが二つ連続しているので耳なのだろうがいずれも飛騨側を巻くものの、第1ピークの広めのルンゼの下降はスタンス間の距離があり、第2ピークの下降はハング状のカンテとなっており、本山行中の核心部であった。もちろん疲労が大きな要因であったのだろうが・・・。実際数カ所ハーケンが打たれておりスリングが残置してあったところを見ると積雪期は懸垂下降しているのでしょう。
馬の背はすっぱりと切れ落ちた箇所だがホールド、スタンスともしっかりとしており、快適な登高が楽しめる。馬の背の先も両側が切れ落ちた幅50cm程の稜線をホイホイと進めば頂上直下の岩の堆積した、それでもしっかりとした踏み跡をたどり奥穂高岳頂上に到着。いや〜本当にお疲れさまでした。
大休止の後、頂上を後にする。時間的には岳沢まで下降することも可能だったがいい加減へろへろだったので穂高岳山荘に向かうこととした。山荘に到着したら何を食べようか?その前にビールをグッと飲みたいな、いやいやまだ気は抜けない。本当に安心して良いのは白出のコルに到着してからだ。
それにしても一般登山道とはなんと歩きやすいのだろう、ついつい歩調も軽くなる。
テント設営後、西穂高岳付近から一緒になった単独行者3名とサロメチール塗りながらビールで乾杯
。その晩から台風が急速に接近、テントは一晩中情けない悲鳴を上げていた。
8/13 天候がすっきりしなかったので岳沢下降をあきらめ、涸沢経由で下山した。台風のためか上高地もそれほど混雑しておらずバスにもすぐ乗れた。新島々で入浴後、夜の松本を徘徊し夜行急行アルプスで帰葉した。
@今回はコースの困難さから軽量化を心がけ、荷物は飲料水2リットル込みで15kgであった。
A使用燃料EPIボンベ小1本以下
B奥穂高岳〜西穂高岳コース(逆ルート)は馬の背リッジの下降、ロバの耳ハングの乗越、天狗岳下降時の逆層スラブなどが核心部になると思われた。
C1998年の地震以降ほとんど整備はされていない模様。ペンキ印は古いものばかり、ペンキ印の岩そのものが崩壊して下の方に転がっていたり、岩屑に埋もれていたりしている。 また、全行程で浮き石が多いのでコースを間違えても気づかない場合がある。 登山者のルートファインディングが試されるコースと感じました。
また、浮き石が多いので余り先行者に接近しない方が良いと思います。
D鎖及びその支点に信頼が置けないので全ルートをフリーで突破するだけのレベルが必要と感じた。
山と渓谷2000年8月号に北鎌尾根並と紹介されていましたが岩稜地帯の困難さは北鎌よりランクが上との印象でした(尤も北鎌尾根の核心部はアプローチですので)。
E実はもっと正確な報告書を書こうとしていたのですが山行中は夢中で手足を動かしていただけで、緊張の連続からか記録しようとしてもアルツ状態になってしまい、メモすら満足に出来ない体たらくでした。
F今回の山行はいろいろと反省点も多く、大変勉強になりました。
橋本さん、留守本部ありがとうございました。
文:北爪 正人
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