ちばやま

ちば山の会2000年11月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821


韓国 インスボン

2000年10月6日

 朝9時、なんでこんなにザックが重いの?なんでこんなに暑いの?と思いながら、成田空港で、西潟さんと無事チェックインを済ませて、ほっと一安心してトイレに行っている間に、ドラマの様なとんでもないことが起きました。
 西潟さんが、「会社から電話があってちょっと戻ってこられないか。と言ってるんだけど、こんなの初めてだな。ぶつぶつ…」と言いながら、出国ゲートの列に並びながらまた携帯電話を手にしたので、「時間あるからゆっくりかけなよ」と言って、トイレに行って戻ってくると、「会社つぶれたってさ。友達とか会社の仲間が死んだ位なら、行くんだけど、ちょっと会社つぶれたって言うから…う…ホント申し訳ない!!」「ええー本当―ええ−」その後は、席のキャンセルをして預けた荷物を取り戻し、お金の貸し借りを精算して、「それじゃ!…」と、一人寂しく出国ゲートをくぐりました。機内に着席してから一人で、"西潟さんの同僚が、西潟さんに電話を入れて、折角成田まで来てるんだから韓国行ってきなよ。それで韓国から帰ってきたら、すぐ会社に来てくれればいいからさ"そんな電話があって、西潟さんが隣の席に現れるのではないかと、恋人を待つように、そわそわしていたのだけれど、ついに飛行機が動き出し、"ああーひとりで出発かー"と西潟さんの心中を省みず、機上のひととなりました。

 10時に成田空港を出発し、12時30分に金蒲空港に到着して、フレンズ入ってるんだからね〜荷物出てきてよ〜と待っていたら、無事青いザックが出てきて、申告カードを手渡したら税関を通過したらしく、「リョウガエコッチコッチ、レートイッショ」と銀行のお姉さんに招かれるまま、万札を出すと封筒にウオンが用意されていて、3秒で両替終了となり、さあて、インスボンへ出発です。日本より寒いと思って着ていったフリースが、じゃまでじゃまで汗が出てきます。金蒲空港は、成田空港より小さく日本の国内線のような雰囲気です。ただ、ハングル語表示が全然わからないので、絵表示が頼りになりました。ここからは、岳樺クラブの新井さん清水さんから教わった通り、金蒲空港から地下鉄5番線に乗り、東大門運動場で地下鉄4番線に乗り換えユスで下車。そして、6番のバスに乗り終点ウイドンで下車。次に、白タク?みたいな、お客が3人乗ったら出発するタクシーで、トソンサまで行き、ここから登山道が始まります。1時間歩いて、16時にまだ新しいログハウス風の2階建ての白雲山荘に到着しました。

 山荘の前のテラスには、木のテーブルとイスが並んでいて、本を読んでいる人、食事をしている人、おしゃべりをしている人がくつろいでいて、日本と感じが似ています。早速宿泊の受付をするけれど、宿泊者は少ないようで、ちょっと予想外です。1階は食堂になっていて、外の階段を登った2階のカイコ棚作りの寝る所に案内され、マットとシュラフを借りて寝床をキープ。そして、ちょっと散歩がてら白雲天望台に出かけると、そこからは、トソンサ、ウイドウイドンの町が見渡せ、紅葉した山中から白い岩がニョキニョキ出ている姿は、日本では見かけない風景で、晴れた日は金蒲空港も見えると、韓国人ハイカーが手振り身振りで教えてくれました。ここは、1時間強のハイキングで訪れることができるので、多くの韓国人ハイカーが日帰りでやって来るそうです。山荘に戻ると、すばらしく美味しい夕食が始まりました。キムチ、オイキムチ、もやしのキムチ、さつまいもの天ぷら、まめごはん、みそ汁…と野菜料理が10品位並び、大満足でした。本日の泊まり客は、北海道から来た1人と福島から来た3人の日本人だけということで、私を含めた5人がルート図を持って集まり、マッコリ片手に、山の話が続きました。マッコリとは、日本の濁り酒よりアルコールが弱く、甘酒の甘くない様な、ちょっと酸味のあるシュワシュワーという感じの韓国では一般的なアルコールです。冷やして飲むとより美味しく、自家製なので、灯油を入れる18リットルのタンクからペットボトルに移して、出してくれます。たった2日しか泊まらないのだからと、マッコリをたくさん飲んで、夜11時に町の明かりを眺めてから、明日のクライミングに胸膨らませ、寝ました。


 10月7日

 医大ルート/シュイナードB/友情の右の3Pの短いルート(名前忘れちゃった)
ロープやヌンチャクはガイドのものを使うので、ハーネスと靴があれば十分で、持っていった装備のほとんどを使いませんでした。キャメロットを見て「これ使いたい」というので貸してあげました。朝9時、トクハンシーと山荘を出発。トイレの前を通り、いやらしいガレを下って10分で「医大ルート」の取り付きに到着しました。ここで靴を履き替え、ロープを付けると、トクハンシーは、ビレーシテナイヨーというにに、すたすた行ってしまいました。「カイジョー」と声がかかり、え…日本語かあ。解除しましたーと言ったら通じるかな?と疑問だったので「ビレーオフー」と言っときました。ロープが引かれ「クライミーン」と声がかかり、あ…英語かあ。よーし「クライミーン」とコールをして登り出しました。そこは、なんにもないスラブで、へっぴり腰になって、手と足に根が生えて動かせない状況になってしまいました。昨日、福島のインスボン経験者から、滑りそうだけど滑らないとか、結晶を掴んで登るとか、最初のスラブが結構怖いんだよ。と、脅かされていたので、これが怖いと言ってたスラブかあ。ホントに怖いよ。でも、行かなきゃ。と、気を直して、やっとトクハンシーのいる所へたどり着きました。「怖かったよー」と言うと「えー」と、笑っていました。ビレー点はしっかりしていて、補強せずそのまま使えます。デイジーチェーンでセルフビレーを取ると、デイジーチェーンの先に付いているビナを指して「アンゼンカンハナイノデスカ」と言うので、「あります」日本語かあ。と思いながら取り替えたら、安全環を閉めないとダメじゃないかというしぐさで安全環を閉めてくれました。わああ。さすがガイド!!と感心してしまいました。次のピッチも、どこを見ても手がかりのないスラブなので、それでも足を置きやすそうな所を見定めてそーっと置いていくと、結構滑らないので、へっぴり腰もやや直り、感覚が慣れてきました。2P登った所が、木の生えているオアシステラスで、ここでちょっと休憩です。トクハンシーは、携帯電話を取り出して、「アンニョン……インスボン……クライミング……・」きっと、「今日はインスボンでクライミングしてるんだよ〜」と、彼女に電話をしていました。一緒にいた1日半の間で、4回位はそんな電話をしていました。医大ルートが終わったら、オアシステラスまで懸垂下降して戻ってきて、さらに懸垂下降して、シュナイドBルートに行くからと言われ、ザックを置いて登ることになりました。ここ3P目からは、空身で取りかかります。クラックを少し行って、右のクラックに移動して、スラブに移る所でチョークを念入りに付けて、その先は右のテラスへとロープが伸びています。「カイジョー」「クライミーン」とコールして、登り出すと、右のクラックに移る所がなんにもなくて、右足出して違うな〜左足出して違うな〜。また、右足出して、左足出して、ちょっと何にもないよ〜と、もたもたしていたら、トクハンシーからスメアリングーと言われ、「分かっているけど行けないのよーもっと張ってよー」と腹の中でつぶやき、えい!と行ったら行けました。今度は、クラックからスラブに移る所も何にもなくて、ずるっずるっと3回位テンションして、息が上がって、手の皮剥けたかと思うくらい痛くて、やっと右のテラスにたどり着きました。フレンズを外しながら、このルートじゃあんまりロープ張れないよな〜と腹の中で苦笑いしてました。4P目は、ピン6箇所のA1ルートで、最後が遠くてテンションしながら、ヌンチャクにシュリンゲを通して足をかけ、ボルトを踏みつけてのクライミングになってしまい、トクハンシーはどうやって登ってたのかな〜と思い返してみると・・・華麗に登っていたのですが・・・。5P目は、またスラブで、良く見ると、夏の雪渓がスプーンカットの様に解けてデコボコが出来ている様に、スラブにもデコボコがあって、なるべくへこんでいる所に足を置くと滑らないコツが分かってきました。6P目は、耳岩を登るルートでシュナイドBルートと同じなので、6P目は登らずここから懸垂下降しました。さすが、支点整備をしたと聞くだけあって懸垂下降したところに次の懸垂支点があるのには、感心してしまいました。60mロープ1本で6回位懸垂下降し、シュイナードBの取り付きまで降りて、まだ12時です。

 だいぶスラブに慣れてきて、スラブが好きになってきました。シュイナードBの1P目は、左上するつかみ所のないフレークを40m。2P目は、右へアンダーの細いクラックを行って、真っ直ぐクラックを行って、右のクラックに移ってロープいっぱいの60m。3P目は、上が詰まっていたので、小休憩の後、体がすっぽり入るクラックを抜けて、右へ出て、ビレー点へ。本当は、真っ直ぐ上のクラックへつなげるのだけれど、詰まっていたので、4Pは、右からスラブを回って、耳岩の基部へ。詰まっていたのは、福島からきた3人組。5P目は、耳岩の10bの15m。この5Pは、医大ルートの6P目と同じです。ここが核心らしい。セカンドなのに、ヌンチャクをつかんで、それ〜。ホントにヌンチャクつかまないと登れないんだよね〜。だって、スラブだから、手がないのよ。15m登ったところが、・・・・

 この続きは、また来月。お楽しみに!!


                             文:白石美穂

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