| ちばやま
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ちば山の会2002年8月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方
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「私の一名山」 その7<前穂高岳>
深田久弥が選んだ日本百名山の基準のひとつに、本人は直接それとは記していないが、その山の特長・個性を眺める決定的な場所(ビューポイント)を持っていることが一つの条件になっていると言っても過言ではない。彼の書いた文章からそれと意識させるところが随所に読み取れる。例えば、北安曇野から見る五竜岳、甲斐駒ケ岳で言えば中央線の車窓からの眺めである。
山を眺めるにはいろいろな眺め方があるだろう。昔の農民は山に残る残雪の形を見ながら田植えの準備にいそしんだ。その代表が白馬岳であり、日本各地の山に名付けられた「駒ケ岳」である。また、宗教の対象としての山がある。日ごろ生活している麓から特に目立つ畏怖堂々とした山がその存在として敬われた。私にとっての山の眺めは、登山の対象としての山の眺めである。特徴的であって、かっこよくて、挑戦心を掻き立てる山の眺めこそ必要なのである。
そんな意味で言えば、私にとっての「一名山」は前穂高岳ということになる。条件からいえば申し分ない。ビューポイントとすれば、徳本峠、徳沢、涸沢、そして取っておきは奥又白である。特に奥又白からの眺めは、間じかに見えるその岩壁の荒々しい姿と、やさしく横たわる小さな池の水面とが相まって他に比較する所がない。あえて探せば谷川岳の「一の倉沢の出会い」が匹敵するかもしれない。しかし、一の倉沢は何か陰鬱で得体の知れない懐に誘い込む雰囲気があるのに比べ、奥又白からの前穂や北尾根の眺めはあくまでも明るく、凛として立っており、胸を張って登山者を上からやさしく見守っているかのようである。
私は今年の夏に20年ぶりにこの地を訪れた。とはいってもこの前穂高の頂上に立ったわけではない。当初、奥又白から雪渓をつめて、クラシックルートであるCフェース、Bフェース、そしてAフェースをよじ登り、当然のごとくその頂に立つ。いや、その頂でザイルをさばく自分の姿をイメージしていた。結果は天気のせいもあったが、なによりも近年の地球温暖化のせいか、岩の取り付きまでのルートである雪渓の崩壊が激しく、むき出しになったガレ場が20年前と同じ軽い気持ちで訪れた私の戦闘意欲をそぐに充分荒々しかったためである。
しかし、20年前まで何度も訪れたが一度も経験しなかった池の辺で、その岩壁でかすかに動く登攀者たちを眺めながらの「とかげ」を楽しむことができた。山は、ただひたすらに登るだけが楽しみではない。日がな一日昼寝をしながら眺めているのも一つの楽しみ方であることをこの時初めて悟った気がした。日ごろの忙しい生活の中で、山でもつい都会の生活を持ち込み、一本でも多くのルートを踏破しなければならないという恐怖観念に取り付かれている自分の登山観を見直すよい機会であった気がする。
眺めるだけでもよいことを理解した私、私の登山観は一歩前進したような気がする。その上でやはり私にとっての登山は「登る」ことが前提でなければならない。来年の夏はきちんとトレーニングを積んで再度この地を訪れてみようと思う。