ちばやま

ちば山の会2004年8月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

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「私の一名山」   その11<八ヶ岳連峰>


 八ヶ岳連峰は私の登山活動における道場とも言うべき山で有りました。

 私は始めて八ヶ岳に登ったのは18歳の正月のことで、此処、八ヶ岳と丹沢及び房州の鋸山が若き頃の私における山の道場と言えるでしょう。

 そんな私にとっての八ヶ岳を紹介いたします。

 18歳の夏に山岳会と言われるところに入会して、鋸山で基礎訓練を受け、冬富士で雪上訓練を受け、その間にちょぼちょぼの山登りを経験したばかりで、同じレベルの新人2人で前記の正月の八ヶ岳を目指しましたが、山の怖さなんて全く無知の2人で、会長から禁止令が出ました。されど、私と友人は涙して、行く事を訴え、とうとう妥協案で小屋までなら良いとの許しをもらい、冬山1年生2人の八ヶ岳登山となりました。

 当時の私は購入したばかりのテトロンヤッケ・オーバーズボン・鋳造8本羽アイゼン等、正にピカピカの1年生で、その姿と、その時の快晴で白く輝く山並を写した白黒パネル写真は今でも自宅にあり楽しく、思い出させてくれます。

 以来、20才台前半までの数年間は年に最低でも5〜6回は通う有様で、特に渋の湯〜黒百合平〜夏沢峠〜赤岳〜権現岳〜編笠山〜小淵沢までの縦走ルートは1人や数人のパーティで、ボッカを目的にキスリングを架づいて歩きました。

 毎回30kg近いザックを架づきこれで脚力と、持久力、1人での雪山で味わう寂しさ怖さ等をたくさんの楽しさや苦痛の中に味遭わせて戴きました。 この山行で硫黄岳石室の親父さんに顔を覚えられ、あんた良く来るね、来たら寄りな、お茶ぐらい飲ませるからと励まされた事が思い出されます。  又、ある時は混んだキレット小屋で友人と雨で水場の水は泥水に変わって居るのを判らず、夜に汲んだ水をおいしい、おいしいと飲んだ翌朝に、私が寝ている間にコーヒーを作ったのかと?友人に尋ねた所、つくんねーよ!との回答で2人で顔を見合いながら、大笑いしたこと、(泥を一杯飲んだー)それを見ていた境目の無い布団を共有した、若き東京の会のこれまた新人の女性との接点となり、以後は2+1人パーティ?となって、権現岳から小淵沢まで、抜きつ抜かれつ、等々、帰りの電車は相席となり東京までの楽しかった事は言葉には出し切れない事です。 そんな彼女の言うに、山で痴漢に遭ったらどうすれば良いかと、山行前に先輩に聞いたとの事それによると「気が狂った様に肩を少し出してニャと笑い寄っていけば山屋なんか逃げ出すよ」との指導を受けたとか、当時の山屋は純情だったんですね!ほんと!

 また、よく、赤岳鉱泉の小屋の軒先でビバークをして、親父さんに泊まる金が無い山屋が多くて困るなどと、嫌味も言われながら、テント代を浮かし、タダで雨宿りビバークをしてまで、通った美濃戸からの各ルートを登った登攀など思いは尽きぬほどあります。(良い時代でした)

 そんな訳で八ヶ岳は新人時代に、その大きい山麓から、厳しく寒い山頂まで、尾根と言わず岩と言わず、冬の雪と氷の世界を私に教えてくれた山で有り、正に道場で有りました。


                         田中(記)

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