ちばやま

ちば山の会2005年03月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel%Fax 043-255-9821



「私の一名山」   その17 <甲斐駒ケ岳>


 今は、上信越道を辿ることが多い志賀高原のスキーへの道は、以前は、中央道を通ることが多かったし、槍・穂高への道も中央道を通っていった。甲府盆地を過ぎて、移りゆく風景のなかに山々のボリュウムが次第に増してゆくころ、左の高見に、魔利支天を肩に白ザレの峻険な頂を誇らしげに聳え立つのが、甲斐駒である。近くに寄るに従って、屋根に遮られてハンドルに頭をくっつけるようにしないと、頂が見えなくなってしまう。運転中、よそ見はいけないが、そのようにして頂がすっかり見えなくなるまで一所懸命見据えてしまう。そのように甲斐駒が好きだ。

 私が最初に甲斐駒に触れたのは、一般登山道ではなく、黄連谷からだった。ひとりで竹宇神社の鳥居をくぐって谷に入って行ったのは、もう、幾十年も昔の話。小さなアタックザックに三つ道具を詰め込んで、夕闇の怖さにドキドキしながら坊主の岩屋を探しまわった。高い沢音や谷底の冷気に震えながら夜明けを待った。朝日とともに岩屋を飛び出して、白い花崗岩に飛沫のあがるきれいな谷をどんどん遡っていった。切り立った滝は、取り付きでザイルを固定し、ひとり確保のピストンでクリアしていく。右に坊主の南壁の垂直スラブにたまげ、千丈や奥千丈のきれいな滑滝に感動しながらも、滑り台のようなスラブをこわごわ越えていく。詰めのガレ場はすっかりガスに包まれて、ルートも定かでなかったが、とにかく上へ上へ。頂の祠を目にした時の安堵の気持ちが今でも思い起こされる。赤石沢奥壁の左ルンゼは、その昔、優秀なクライマーが仲間の注視を受けながら救助のなす術もなく命を絶った壮絶なスラブだ。

 中間バンドから、奥壁を眺めるのに時間を食ってしまって、下山の黒戸尾根を飛ぶように駈け下った。鳥居を駆け抜けたものの、最終バスは無情にも黒煙をあげて遠ざかっていく。でも、茶店に一夜の屋根を貸してと頼んだところ、納屋を開けてくれ、布団や、お茶や、みそ汁まで運んでくれる。怖さに怯えた深谷から、優しさにあふれた田舎の人情に、決して忘れることのない、甲斐駒の懐の深さであった。

 次回は松澤さんです。お楽しみに。




                         長池(記)

BACK