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ガッシャブルムT峰遠征報告 NO2

6/17 梱包も完了し、アスコーレ(3048m)へ向けて出発。(支援隊と25日まで同行動。トレッキングについては、国昭の報告を参照ください)ポーター一人、一人に、バネばかりで、25Kgづつはかり、順次出発させる。ポーターの足りない分は、あつまりしだい後から運ぶことにして、荷物をおいて見切り発車の出発である。
6/27 ようやくBC(5200m)に到着。ポーター代も値上がりしていき、その折衝等で、53人分全部支払い終わるまで、2時間もかかつてしまった。10日間で、ひとり3500ルピー(約7000円)。午後、個人用のテントを設営する。4人用のエスパースを一人で使用します。フライを2枚重ね張りして、床は、テントの下には、プラパル。テントの中は、ギンマット、黒マット、5cmのスポンジマットにシーツが付き、ハイキャンプにあげるまでエアーマットもしいていました。1ヶ月半、ハイキャンプに行かないBC滞在中は、本を読んだり、音楽を聴いたりして、リラックスできました。
6/28〜30 頭痛も出てきたが、徐々に収まってくる。高山病予防のため、水分を、1日3000cc取ら なくてはいけないので、お茶をせっせと飲む。そのお返しでトイレに夜中に3回ぐらい起きます。トイレはテントの中で済ませます。荷物が届かないため、登山活動の準備がなかなか進まず、洗濯をしたり、シャワーテントで、シャンプー、身体を洗ったりして、日本では考えられないほど、のんびりすごしました。ヤギが3匹上がってきました。山羊代三頭で9000ルピー、ポーターの運び代9000ルピー合わせて、日本円で36000円、なかなかの高値です。お肉がないと元気も出ないし、食欲もでません。レバーがとてもおいしかったです。肉は氷河に埋めて保存します。
7/1  5時にC1(5950m)に向けて出発。 世界最悪といわれているクレパス帯を通ってC1に行きます。隊員5人が、ロープでつながり、クレパスを飛び越えたりして登ります。傾斜はあまりないが、、気は抜けないところで、距離は長く、BCからC1まで続きます。 10時の時点で、C1まで後1時間ぐらいの所で、帰りの体力を温存するために、二人で待つことにしました。待つ間に睡魔に襲われうとうととしました。これも高山病かもしれない。到達度5850m。やはり、帰りは大変疲れてしまい、クレパスに何度も膝ぐらいまで落ちて、すぐには立ち上がれずにHPに、引き上げてもらう始末でした。
7/2 ハイキャンプの食料など、大部分の荷物が届き、HCの準備がやっと出来るようになりました。朝から雪が降ってポーターも大変です。ポーター代が1000ルピーも値上がりして、登山を取りやめた隊も有るとか聞き、複雑な気持ちです。わが隊も、持参した帰りのポーター代が足りなくなりそうなので、エイジェントのガイドに、両替を頼みました。昨日の疲れからか、胃の調子が良くなく、あまり食べたり飲んだり出来ません。鍼の先生から餞別にもらったお灸をしたらだいぶ良くなりました。
7/3〜4 雪の合間の晴れをみて、HCの食料と行動食を分配をする。日の照ったときの暑さ、曇ったとき雪が降ったときの寒さなど、寒暖の差の激しさで体調を崩さぬよう注意しました。
7/5 6時にCT設営で、男性隊員とハイポーターが出発。最終荷物の到着で、賃金を支払うため、隊長と残る。9日遅れで荷物がようやく揃ったわけです。
7/6 5時15分雪の振る中、CTに向けて出発。12時CT着。15時10分BCにもどる。風は吹かないが、雪の降る中の往復の行動は、きつい。
7/7〜9 BCにて休養。ルート開拓の隊員も7日下山。
7/10 CTに泊まりに出発。天気もよく片道なので、気分的にも体力的にも楽である。日本の雪山と同じように、雪で、まずは水作り。2Lのペットボトルに何本も作りストックします。食事は日本から持ち込みのFD食料です。パキスタンのハイポーターが、アルファー米を気に入って、いくらするのか聞いてきた。2食分800Rと言うとびっくりしていた。 ポーター代からすると本当にそうだと思う。
7/11 3時起床。5時C2へ出発。BCでは、コックが食事を作ってくれて、後かたづけもしてくれるので、楽をしていましたが、日本の山と同じスタイルですべて自分たちで当然するわけです。高度になれるまでは、やはり、ものうくかったるいです。雪稜を登り、シェルパ達が、私たちが通過するのを心配して、コース変更を申し出ていた問題の岩稜帯のやせ尾根に出た。ユマールを使って登るのは始めてであるが、これを使って難なく通過。三角岩峰も楽しんでクライミング。C2(6600m)地点で、12時30分C1へ引き返すことになる。ルート工作隊は上の雪壁をまだ工作中である。下りは、7mmのロープをエイトカンで降りるのだが、ロープが細いので流れが速く怖い。スピードを制御するのに苦労する。C1に着く頃は、疲れてへろへろになってしまう。やはり、往復はつらい。
7/12 BCへ下りる。3時間弱で下山。
7/13〜17 BCにて休養。下山翌日は、疲れで顔がむくむ。水分が取りにくいのでいろいろ工夫して、練り梅をお湯でといて飲んだりする。シャンプーしたり、洗濯したり、お汁粉作ったりして時を過ごすが、暇をもてあます。男性陣は、15日にC1に出発。私も登りたいと、3時の交信でお願いするが、アイスフォールに落ちたときの対応が出来ないということで、許可されず。
7/18 6日ぶりの行動。11時にC1に出発。体調は前回C1泊より良好。高度順応が上手く行っているようである。
7/19 男性陣C2へ向けて出発。私たちはC1停滞。私もC2へ行きたい。"2ヶ月の登山活動のなかで、登山技術が上がる。"という隊長の話を前に聞いていて技術向上したい、また、高所順応もしたいという思いが強くなり、夕方の交信でC2に行くことをお願いする。C2泊をお願いするが、日帰りであればOKとの許可が出る。その後の交信で、C2泊が、許可された。ハイポーターを下ろして泊まれるようにしてもらえました。
7/20 5時10分 昨日C2より日帰りした小林さんと私たち女性二人の3人でC2を目指しました。 岩稜帯までの雪壁を、一歩一歩登り、ナイフリッジは無難にこなし、三角岩峰の岩場が少し難しくおもしろかった。先日の到達点より上にC2があると思っていたが、先日の到達点にテントが張ってありほっとする。ザックを置き、6700mまで雪壁を、一人で登ってみる。上から花田君が下りてきたので、其処から引き返す。夕方、隊長達と合流。明日、C3へ順応をもうしでるが、良い返事なし。
7/21 5時20分。C3へ向け順応出発の声を隊長テントにする。今日も、C2へ泊まりたかったが、C1まで下りてくるようにとの事。意気消沈してしまう。登り始めるが、気持ちが乗らず、足が前に出ない。6800mのところで、引き返そうというので帰ることにしたが、テントに戻ると、気が抜けて眠くてたまらない。少し寝てから、下りはじめる。気を引き締めて下りる。岩場、雪壁は、それなりに、緊張感を持って楽しんで下りれたが、緩やかなテン場への道は足が前に出ない。C1泊。
7/22 BCまでのクレパス通過のロープがないため、200mのロープ四分の一をカットして下山。クレパスが大きく口を開けていたり、小さな流れが沢山出来ていて、時間を費やしてしまう。
    BC到着後、今後の日程の発表があり、第1次隊・藤川・花田・HP4名。 第2次隊・隊長・小林・河野・広木・HP。
    24日 1次隊C3作成および、TOP開拓
    25日 2次隊BC発。C3にタッチ後、BC下山
    休養後、サミットへ  

                                 広木(愛)

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2005年 千葉県勤労者山岳連盟 ちば山の会 
http://www.chibayama.com