ちばやま |
ちば山の会1998年9月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方Tel・Fax 043-255-9821 |
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<<思い出の鳥帽子奥壁>> ―今泉敏男―
上野発22:13分長岡行き、それが私達を一ノ倉沢へ連れて行ってくれる夜行列車であった。 今から30年前1970年代、特急も急行も走っていたが、谷川周辺を目指す人達は、主にこの列車 を和1用したように思われる。
上野駅のホームや地下通路、そして階段にまで列車毎の待ち合わせ場所が決められ、ザックを背負 った人達が長い列をつくり、私達もその中にいました。列車は、途中の駅で長い休みをとりながら、 確か高崎では20分以上止まっていたように思います。そして、清水トンネルに入り、2:00頃土合 駅の地下ホームに着きます。それからが大変、ホームは乗っていた人全部が降りたのかと思われる程 の山やで溢れ、その人々が土合駅の改札口をめざし400段の階段を登るのです。改札口を出ると、先 に出た人違が待合室を始め、駅の入日、改札回の中にまでシユラフにくるまり、足の踏み場もないほ どでした。駅で仮眠を取る者、そのままヘッドランプをつけ登山道をめざす者、人それぞれに谷川岳 の山ふところに入って行ったものです。
私達は、常に一ノ倉沢をめざしました。登山道から一ノ倉沢出合、そしてテールリッジ、見上げると 衝立岩が近づく者を寄せつけるものかと迫り、又、鳥帽子岩の頭は早く登って来いと呼んでいるよう でした。そして、どのパーティーも今日めざすルートの順番取りの為、抜きつ抜かれつしながら、先 を急ざます。中央陵取付から、南陵取付まで、鳥帽子奥壁の各ルートには、赤、青、黄など色とりど りのザイルが伸び、合図の笛やコールが、こだまとなって響きわたっていました。 そして、やっとたどり着いた南陵テラス。四畳半位の広さしかない南陵テラスは、順番待ちのパーテ ィーでいっばい。しかし、ここまで来れば一安心。自分達の順番を確かめ、1時間でも2時間でも待 ちながらの大休止となります。朝寝をする者、キジをうちに行く者、ただひたすらルートの空くのを 待ちます。この大きく深い一ノ倉沢、そして、立ちはだかる鳥帽子奥壁。岳人と呼ばれる人々の血が 騒ぎ踊る黒い壁。静かに時は過ぎる、自い雲は流れ、遠く近く飛びかつ小鳥たち、風の音を聞きなが ら、ゆれる名も知らぬ小さな花に心を静めます。この一時が私は好きでした。
さて、いよいよ取り付き トツプ、セカンドを決め、ビレイを取りながらザイルをのばしていく。時 析響くカラピナの乾いた音。信頼のおけるパートナーの視線を感じながらホールドを探し、小さなス タンスに乗る。セカンドから「残り10m、5m」とコールがかかる。確保点を決め、自己ビレイを 取り 下に向かいコールする。 「よし、いいぞ。登って来い。」ザイルをたぐる。静かにたぐる。引 っ張り上げなくても相手の動きがよく分かる。お、止まった。そうか、あそこで苦労しているな。ま た ザイルが動く。お、のっこしたな。そして到着。 1ビッチ目終了。さあ今度はトップの交代だ。 続けて行ってくれ。相棒に声をかけ、しっかり確保をする。 ザイルがのびる。静かにのびる。 1つ、ホールドをつかんでは、のびあがり、1つスタンスに乗って はザイルが動く。岩影にトップが隠れ見えなくなっても、わずかなザイルの動きに相手を知る。 お互いの信頼により、ザイルに血を通わせ、多少スリップしても、絶対俺が止めてやる。だから思い っきり登れ。自由に登れ。そして上に向かいコールする。「残り10m、5m」すると上から、「よ し 登って来い。」このように、つるべを繰り返し一つの登攀を終わるのです。
下りは、六ルンゼ、ビレー点を確かめながら懸垂下降を繰り返す。岩を蹴り、空を飛び、さっきまで 登る事に血を湧かせた岩を遠くに見ながら、下へ、下へ。いつしか、南陵テラスを過ぎテールリッジ。 衝立岩や鳥帽子奥壁に取りついている、山やを振り返りながらテールリッジを下るのです。 一ノ倉沢出合にて汗を洗い流し、今日登ってきたルートを目で追いながら自己満足に浸るのです。そ して、次はあのルートにしようと相棒と相談し、夕闇の迫る道をブナの風音に追われるように土合駅 へ向かいます。途中、登山指導センターに寄り、次回の登山届を出し、次の登磐に思いを語りながら 上りの列車に飛び乗り、ビールを片手に眠りながら、千葉へ向かうのでした。 ―第1部終わり―