ちばやま |
ちば山の会1998年10月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方Tel・Fax 043-255-9821 |
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<<地震・雷・落・靴底>> −8/11〜16 涸沢 倉田洋二一
8/11 また休みが減ってしまい本日出発となった。新宿まで出て夜行バスに乗り込む。寒いくら いクーラーがきいていてゆっくり眠ることができる。周りは家族連れが多くにぎやかだ。とても楽し そうである。朝6時に上高地到着。いやになるくらい重いザックを背負ってトイレに行っていると突 然雨が降り出す。それもバケツをひっくりかえしたようにである。いきなリザックはベタベタになり さらに重くなる。そして完全武装で出発する。 (この雨具を収納する事は二度となかった。)河童橋 を渡り焼岳へ向かう。しかし河岸、道とも完全に手入れされてまるで千葉公園の中を歩いてるようだ。 しかし時折見せる沼地、こけ類、枯れ本のある湿地などの美しさは世界に通用するというか世界―美 しいといわれるニュージーランドのミルフォードトラックにも匹敵する。大正池をまわってこなかっ た事を少々後悔しつつ焼岳へ向かう。登山□には「焼岳噴火時は登山禁止」と書いてあるが「当たり 前だろ!」と1人でつっこむ。結構な急登だが初日だけあってなんとか行く。がやはり荷が重過ぎる ようだ。タイヤを引っぱって歩いているようだ。やつとはしごが出だしたのでもう少しだと思うが なかなか着かず嚇いでいると「ガゴガゴガゴ」と突然揺れる。 「焼岳噴火か!」と思い、溶岩が降っ て来るのではとびびっていると周りじゅうで物凄いラクが発生する。ぼろぼろの焼岳なのでいつ自分 の頭の上に落ちてくるか分からないとヘルメットを出そうと本気で思った。すると上から2人の登山 者が来て青い顔をしていた。「すごい落石ですね」と話をし、焼岳小屋で下山をすすめられた事、か なり雷が発生している事、西穂山荘への道は滝になっているなど情報を得る。それでずいぶん下山し てくる人が多かったのか|なぜ誰も教えてくれないのだろう。まあここまで来たので小屋まで行くか ととりあえず出発する。ひいこら登ると焼岳小屋の人が迎えてくれて、地震は噴火ではなく祥発地震 であること、西穂山荘への道は滝になっているが危険はない、焼岳はルートを外しやすいと教えてく れた。精神的にも肉体的にもキビシイので山頂へ向かわず西穂山荘へ向かう。これまた長く感じられ、 ずぶ濡れの靴で歩く。ヘトヘトになって小屋に着くとバイトの小屋番がさわいでいる。天候を聞くと 「さー。」奥穂までの縦走路を聞くと「危険だね―。」クタクタになってこんなバカなバイトの相手 をするとは全くツイてない。水は有料だ。上高地で登山届の所にいたおじさんは無料だと言いきって いたが。バラバラになった体を少しずつほぐし落ち着いたらテントの設営をする。雨の中テントを張 るのはかなり高度な技だ。フライでまず荷物を守り、テントを出したら本体にかぶせながらポールを 入れる。そして素早く荷をぶち込みフライをぴんびんに張る。そしてやっとテントの中へ入り雨具を 脱ぐのだ。このただの空地に濡れているとはいえこの居住スペースを作るテントとは何と素晴しいの だろう。しかし寒い。ストーブに火をつけカッパを千す。たまった水をバンダナでしばり出す。やっ と落ち着いて飯を作る。アルファ米と焼きビーフンだ。うまくいったがすごい量になる。天気図をと るが、停滞前線がかぶさってしまっている。これでは逆ルートの縦走は無理だろう。半ば上高地へ下 山するつもりで寝る。
翌朝、3時に起きる予定が5時だ。日覚ましはきかない。大急ぎで撤収。雨は止んでいたが相変わ らずの天気なので上高地へ下山する。重荷だし下山でも意外と時間がかかるのでベースを上げようと するがどうも歩きづらい。足に何かまとわりつくようで止まってよく見るとなんと、ソールがはがれ ている!シュリンゲで補強するがすぐほどけてしまう。靴ひもに予備があったので古い靴ひもで補強 して歩くとなかなか調子よく歩けた。いやー、2時間半もかかって下りて、しかも今日中に涸沢とは なんと恐ろしい。でも靴が何とか補強できたので行けるかなーなんて思っているとかかとに違和感が ・・・ギャー、かかとも外れてきた。も一アカンと思いつつなんとかバスターミナルヘ行き、例のお っさんに相談した。靴屋も修理屋もない、との事で「時々はくからだめなんだ。そんな古い靴では、 はがれて当然だ。来年もっといい靴を買って来なさい」とさんざんイヤミを言われたあげく、その靴 で掴沢は絶対無理と去って行く。とにかく手助けや方法といった類の言動は一切出て来なかった。確 かに反対の靴のソールもはがれかけているので、恐らく涸沢に着くころには両方ソールが取れて行く も帰るもできなくなるだろう。しかしもし、西穂・奥穂へ逆ルート縦走をしていたら命にかかわると ころだった。あ一行かなくてよかった。万策尽きた私はとにかく靴屋を探す。そして洞沢で待ち合わ せた松戸、船橋の面々に連絡を取る事だ。幸い涸沢ヒュッテには衛星電話があり、呼び出してもらう が声届かずで、それ以上のことはヒュッテ側もしてくれなかった。後は船橋の飯塚氏の携帯に留守電 をいれまくり(多分通じていなかっただろう)入山を待ち構えるだけだ。その間、靴屋に電話をかけ まくるが結局、松本のICIしか便のいい所にはないのだ。3時まで飯塚氏を待つが現れないのでア ルピコバスで新島々へ。そこから松本電鉄で松本に向かう。時刻を見ると松本発の電車は夜遅くまで あるが新島々発のバスが今の時点でもうない。仕方がないので新島々で泊まる覚悟で「よーし、松本 でうまい物食うぞ」と勇んで松本へ行き、パルコでビーサンを買いやっとこわれて濡れた靴から開放 された。テクテクICIを目指して行くが結構遠い。中へ入リトレッキングシューズを探し、安価な ものをと思ったがサイズもなく、まともなトレッキングシューズを買ってしまう。いろいろ装備を補 強して帰る。何を食べようかと迷っていると妙に安いスパゲティー屋があるのでつい、入ってしまっ た。(ビンボーくさいも)ビールを飲み大盛りを食べ満足してまた松本電鉄に乗り込み新島々へ。そ して駅にテントを張るついでにテントを乾かす。するとたくさんの大学生らしき集団が来て楽しそう に寝る準備をしている。そろそろ私も寝るか・・・しかし今回の往復だけで5千円近くかかってしま った。しかし連絡が取れない以上待ち合わせ場所には行かなくてはならない。
翌朝、3時に起きて撤収しバッキング。4:50のバスが始発で6:20に上高地着。またカッバ を着込んで出発。重い荷でペースは遅くコースタイムとほぼ同じくらいかかって横尾まで着き、いよ いよ扉風岩をおがむ。この辺りになるとピーカンになり初めてカッパなしで歩く事ができた。とても 気持ちよい。たくさんの滝が発生している扉風岩に感動した。そこに取付こうというパーティーが様 子を見に来ていた。だいぶ遅いペースで、いろんな人に抜かされるがそれでもコースタイムよりは早 い。バッキングが悪いのか全ての重さが腰の上の部分に集中してそこだけがとても痛い。渦沢の最後 の登りでまた大きな地震だ。震度5〜6だろう。落石が滝のようになリビビるがもう慣れてしまった。 小さな地震(3〜4)はもう気にならなくなった。いやーかなリキツイ。1時間がかなり長く、重心 ははるか後ろにある感じだ。やっと着いた洞沢で頭フラフラしながら夢にまで見たザックからの開放! 放心状態でテントを探すが松戸の連中も船橋の飯塚君も見つからず、仕方ないのでテントを千し装備 を千し、飯を食った。初めての涸沢で北尾根から奥穂、涸沢岳と続く稜線。すごい風量だ。ポーっと して眺めているとまたきた。地震だ!これも5以上の震度だろう。下界で体験した揺れと今回山の上 で体験した揺れは明らかに違う。下界の揺れはじわってきてゆらゆらグワングワンと
こんな感じだが山の上はガガガガ
と鋭い揺れ方で一気に来て一気に終わるとい った感じだ。涸沢は辺り一面ガレ場なので360度で落石が起こる。1つは北尾根、1つはザイテン と涸沢岳直下。1つは北穂方面。煙と聞いたことのない岩の砕け散る音だ。 ――――後半へつづく・・・予定。