ちばやま

ちば山の会1999年2月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

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2年越しの槍ヶ岳〜穂高冬期縦走       土屋 康弘

 97年の年末山行て自石夫妻と3人で西穂高から槍ヶ岳までの冬期縦走計画が。残念なから奥穂高から下山しなければならなくなり。私達にとって宿題を残した山行となってしまった。  98年今回の正月山行を。残りの奥穂高から槍ヶ岳縦走と決めてから。5月連休にキレットの下見を兼ねて白石(美)さんと蝶ケ岳〜大天井岳〜槍ヶ岳〜穂高連邦〜焼岳の縦走を歩き今回の山行に備えた。

1人のメンパーが最終的に船橋山の会の飯塚さんとの2人と決まり。26日雪のちらつく新穂高を出発。白出沢出合まで順調に進み。槍平まで2.5kmの標示に午前中に着くのではないかと思われたが。ここから歩けど歩けど槍平が出て来ない。14時30分にようやっと到者。

休憩後今日のテント設営地。中崎尾根に出発。ここから急登が続く。寝不足の体にはかなりこたえる登りだ。さらに下山者の尻セードのトレースに七苦八苦。17時頃中崎尾根に到着。

穂高連邦は夕日に染まって美しい。こんな夕日に染まった穂高は25年前に見た時から記憶にない。すぐにカメラを出してシャターを切りたい所であるが。今はテント設営が優先だ。テントの中から見る見空は明日の山行を約束してくれているようだ。

 27日今日の行程は。槍ヶ岳から南岳へ。この南岳で先に進むか後退するかを最終的に判断しようと思っていたので多少の吹雪きでも、今日中に南岳に行こうと決めていた。ザックの荷が肩に食い込み重い。これをこらえながら南岳に16時30分に到着。誰もいない冬期小屋の中にテントを設営。

 28日時れ。今日中に今回の核心部キレットを越えて、奥穂高まで行きたい。 8時30分遅い出発だ。ノーザイルで30分程アイスクライミング ダウンをバエルとアイゼンで足場を決めて下降問題にしていた階段は雪に埋まっていなかったので簡単に降りてこられたがキレットの最下部に着いたのが10時30分を回っていた。ここで腹ごしらえ。

ここから痩せ尾根が続く。5月には簡単に通過したルートも今回は慎重に進む。1歩誤れば滑落して命はなくなる。そしてクサリ場のクサリは雪に埋まり、ザイルを出して懸垂下降。

北穂高の登る手前から左に大きくトラバース。新雪の急斜面に新しいトレースをつけて先に進む。ここでザイルを出して確保するかどうか迷ったが、もしトップが滑落した場合、停める事が出来ないと判断して。ノーザイルで進み、150m上に北穂高小屋が見えた所から飯塚さんがトップで夏道の急斜面をバエルとアイゼンをフル回転させて。息を切らしながら16時45分に北穂高小屋に到着。振り返って見ると、槍ヶ岳が北アルプスの山々をバックに夕日に染まり、夕暮れに包まれて行く。私はあわててザツクをほり投げて、カメラと三脚を取り出して。間に合わないかもしれないがシャッターをきった。 冬期小屋には奥穂高から来た、1パーテイが今日到着したらしく小屋の中を整理している。 私達は松寿岩の所でテントを設営。奥穂高まで行く事が出来なかったが、1日中緊張した行程を振り返り、今回の核心部を無事に通過して来た事に満足であった。

 29日朝まで晴れていた空も出発する頃から雪がちらついて来た。ルートは昨日のパーティが残してくれた踏み跡をたどる。数箇所フイクスロープが残っており歩きやすかった。風と雪が強くなってきたがあまり苦にならず、緊張が続くが、フィクスロープのおかげか、以外に順調に進み11時30分に穂高山荘に到着。ここでザックを置いて奥穂高をビストン。

またザックを背にして西涸沢尾根を下降。この頃から稜線上は視界が風と雪で4〜5mと遮られる。かすかに残る踏み跡を頼りに下降するが、左に分岐する地点が見つからない。晴れていれば、迷うことのないルートも今は闇の中にいるみたいようなものだ。何度かザックを降ろして探してみるがわからない。行き過ぎたかもしれないと思い、来たルートを引き返してみる。登り直す行程は気分的に重くのしかかる。いつの間にか北穂高に行く分岐点に来てしまった。

ここで今回は穂高山荘の冬期小屋に入る事を決断する。16時頃小屋に到着。

中には昨日北穂高小屋にいたパーテイが8人と、西涸沢尾根から来た2人が、10畳くらいの板の部屋に先着していた。そして我々の後から北尾根を単独で登ってきた人が入って来た。6人パーティの人達はビデオの撮影隊の一行で、小屋の中には30kgのプロパンボンベなどがデボしてあり豪勢な食事のメニューとフトンまで使用している。私達は撮影隊の宮田さんに西酒沢尾根のルートを詳しく聞いて明日に備えた。

 30日昨夜から降り続く風と雪は、朝になっても屋根をたたきつける音が止まない。小屋の中にはどのパーティも停滞日と決めているのか8時になっても誰も寝袋の中から出てこない。私達も停滞日と決めていたので7時ごろにホエープスに火を入れて食事の用意をして遅い朝食を取る。

天気子報ではこの天気が4日間も続く事を報じている、4日間もこの天気が続くと問いて、すぐに下山と決める。なぜならば食糧があと2日分ぐらいしか残っていないからだ。昨日聞いたルートを頭にたたきこんで小屋を出たのが11時頃。そして単独者も同行することになった。

小屋を出るとすぐに腰までのラツセル、風と雪は吹雪きの状態であるが5mぐらいの視界はきいている。稜線に出るとラッセルはなくなった。風と雪がさらに強くなってきた。何度か強い風で立ちはまりなから、昨日引き返した地点に来た。そこから尾根の岩場を下降すると見覚えのある場所に出て来た。何んと言う事はない昨日、ここの岩場を下降すれば、こんな苦労をする事はなかったのだ。

ここから先に西涸沢尾根の核心部、雪庇が張り出した痩せ屋根がある。先程すれちがったパーティの踏み跡が、もうすでに風にかき消されている。 雪庇をピッケルてたたき落として、腰までのラッセルをしなから、痩せ尾根の頭に新しいトレースをつけて行く。左右は急斜面の谷底があるはすであるが、今は吹雪で視界が2m程しかなく、全て平面にしか見えない。途中左側に1m程下に降りてトラバースしたはうが楽かなと、思い足を踏み入れたとたんに、私の足元にあった50cmの雪の層が大きなかたまりとなって音をたてながら雪朋れて谷底に落ちて行く。もしこの雪の層に足を踏みいれていたならば巻き込まれていただろうと思う。あわてて痩せ尾根の頭に戻り、ラッセルを3人で交代で進み核心部を無事に通過。森林帯に入って安全地帯でザックを降ろして遅い食事を取る。

 ここからは年末を奥穂高で過ごそうとする登山者と、多くのテントを見ながら白出沢出合に15時頃に着く。飯塚さんはここから年末を八ケ岳へ、私は松本から夜行で千葉へ向かった。昨年は年を越して帰宅したが今年はこれで年内に帰える事が出来た。帰ると家では私が何日に帰るかを賭けをしていたらしい、娘は年内に帰らない、お母さんは年内に帰る、今回は娘が負けらしい、正月のサラ洗いを娘がやっていた。

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