ちばやま

ちば山の会1999年2月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821


《問題の山行 前穂高北尾根単独行》

北アルプス 穂高岳 前穂北尾根〜明神岳 (1月10日 反省会・配布文書全文 記白石)

12/29 千葉出発
12/30くもり 雪上高地〜徳沢〜慶応尾根とパノラマヨースの分岐点
12/31〜慶応尾根〜北尾根P8〜5.6のコル  チントのポール折れた。
1/1晴天風強し〜3.4のコル
1/2雪ガス〜前穂〜吊尾根の途中まで行き引き返す〜前穂
            この日は横浜のパーティーと前後して行動 吊尾根の途中まで一緒。
1/3降雪悪天前穂〜明神 途中10:30 滑落 50m程 雪の窪地にひっかり止まる。そのままピパーグ。
1/4ガスピパーグ地〜吊尾浪の途中  ピパーグ
1/5晴天〜奥穂〜涸沢岳〜白出沢〜新穂高温泉20:20
(1/4 横浜のパーテイーは吊尾根にてヘリ救助。)
(1/5 県警ヘリ 天狗コルにて別パーティーの捜索。白石の近くをこのヘリが通ったが、自力で下山できると思い見送る。)
 上記の山行は、山行計画書が規定に従って(規定3.4及び10参照)提出。受理されていれば、何の問題もなく、登山力量のある人の立派な山行でした。ところが大きな混乱が発生しました。

1 山行計画書の提出 12/23 ホフイトボードに張っただけだった。(正式にリーダー部に受理されず、リーダー部、下山連絡担当者冨樫が、この山行の計画書がないのに気づき12/30日会事務所に取りに行った。)

2 メンパー変更  直前の変更が(3人→単独)リーダー部下山連絡担当者に伝わらなかった。(29日夜電話したが本人不在で伝えられなかった。)

3 計画書のコピーが自宅になかった  自宅には県連に提出(Fax)した計画書のみだった。会に提出した討画書には1/4・5の予備日が記載されていたが、県達に提出した計画書にはその記載欄がなく、たんに下山予定日1/3のみだった。この日付の違いが混乱を招いた。

4 連絡手段なし   冬季単独バリェーションルートという危険度の高い山行にもかかわらず無線も携帯電話も持たなかった。

会の行動(1月10日 反省会・配布文書より抄録)

1/421時白石美穂より富樫へ 下山連絡があったか確認の電話。予備日が1/5になっているので、1日待つ。各運営委員に連絡。
1/512時遭難対策費用の準備。EPIガスボンペ購入。
16時冬山に入れる会員の集合をかける。(18名集合)県連救助隊に救助要請をする。
17時装備点検食料買出し。明朝7時30分に豊科警寮署と打ち合せを行うことを確認。
18時出発準備完了。県連石川理事長より電話。待機指示あり。理事長待ち。
20時理事長来会。ちばのメンパーも県連の指揮下に。遭難対策本部弁天会館に変更。
20時30分白石敏章本人より下山連絡。新穂高温泉から。
21時4名、迎えに新穂高に出発。
22時遭難対策本部解散。
1/62時新穂高着。白石と合流。車に乗せ日赤病院に。仮眠後レントゲン、異常なし。豊科警察に挨拶。15時千葉に帰着。解散。
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