ちばやま

ちば山の会1999年2月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821


県連救助隊の行動 (県連救助隊河野氏Faxより) 松戸山の会5名。岳樺1名。シャンティ3名。船橋0名。県連所属の各会から15名の方々が出動してくれました。

反省会  1月10日(日)9:00〜10:00
17名が参加し活発な議論がされました。出行計画書が正式に受理されていれば問題は発生しなかったでしょう。それを怠ったことは明らかに白石氏の落ち度で、氏も率直に謝罪しました。白石氏の山行で浮上した問題は、単に山行計画書を規約通りに出さなかったという問題だけだったのでしょうか。

人はなぜ山岳会に入るのでしょうか? 一人一人きっかけは違っても個人では実現できないことを組織の力で実現したいという願いは共通しています。山岳会は組織力を効率的に発揮するためにルールを設け、会員はそれを尊守します。それが自分の目的に合致するからです。本来、山岳会の組織と個人の方向性は一致しているはずです。山行は様々で千変万化します。それゆえ先輩達が苦労をして様々なルールを作り、伝承してきたものが現在の規約や規定です。しかし、時が移り人も代わり人々の意識も変わります。

たとえば、現在山行計画書はリーダー部が承認印を押していますが、すべての計画書を十分に審査する時間はありません。提出もする方もギリギリに出して、ただ承認印を押してもらうだけが目的になっていないでしょうか。双方が形式的になってそれが慣習化すると、システムは形骸化し十分機能できなくなります。今回の計画者は受理されたのか、されなかったのか、判断にと苦しみます。

組織と個人の方向性がズレると、組織サイド(運営委員など会の中核になる人々)は、とかく既存の規約や趣意事などを持ち出して「規制」面を強めます。個人サイド(一般会員)は山には活発に行っても、運営など面倒なことには背を向けてしまいます。会の雰囲気は暗くなります。

ちば山の会の現状はどうでしょうか。私は楽観しています。会の組織は柔軟性を失っていません。確かにこの会規約や趣意書などは現状にそぐわないものがあります。それらは遠からず修正されていくでしょう。今回、非常召集に応じて短時間で18名もの人達が遺難対策本部に集結したことや、この問題の反省会に17名も集まったことは、会の求心力を実感します。同時に会員個々人の意識の高さを感じさせます。山岳会の会員であることは、大袈裟な言い方をすれば、「権利」と「義務(責任)」が伴います。権利とは山行に参加し、技術の伝承を受け、山の喜びをより多く味わうことでしよう。義務(責任)となんでしょう。会費を納めること。山行に参加し習得した技術の伝承を行うこと。「安く」「楽しく」「安全に」を実践すること。いろいろあると思いますが、会の運営に関心を持ち、参加することも会員の大きな「権利」であり「義務(責任)」です。大勢の人が会の運営に関心を持ち、参加している現状は評価できます。見通しは明るいでしょう。

白石氏の話を聞いた時、私は思わず新田次郎の「単独行」を思い出しました。「メスナーみたいな奴だなぁ―」そう言った人もいました。正式に手続きをしていればなんの問題もなく(滑落負傷しながらビパーグを重ね、ギリギリのタイムリミットに自力下山したのですから)賞賛される山行でした。

いつの時代でも、組織の発展は組織の「規制」からは生まれません。個人の自由な活動がインパクトとなり、規制と反発との相克の中から新しい価値は生まれます。白石氏の問題山行も、かならず会の発展の契機になるでしょう。活発な議論をお願いします。

          山崎 修一

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