| ちばやま
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ちば山の会1999年12月
千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方
Tel・Fax 043-255-9821
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道草のふれあいハイキング
それはちょっとマラソンのゴールのような場面でした。「がんばれ! がんばれ!」という声援が頭上から聞こえました。 もうあとわずか、でもそこは長い階段がありました。
彼は休まないで一気に行くと言います。それまで長いい階段では5段上がっては一休みして息を整え、また5段上がっては休むという登り方でした。まさにラストスパートでした。彼の息遺いが、支えている腕をとおして伝わってきます。一段。一段。…そして最後の一歩。
ふれあいハイキングは10月24日の日曜日、快晴の筑波山で行われました。4台の大型パスに分乗した参加者は200名に近かったでしょう。 15の班に分かれ、班ごとに障害者3〜4名を9〜10人のボランティア・家族・各山の会のメンバーが支援していきます。
私達は10班でした。ちば山の参加者は14名と多く、何人かは他の班の応援にまわりました。10班は、車椅子の鈴木信一さん。肢体障害の森奥さん・知的障害の縄田有理さんを、ボランティアの方とちば山のメンバーが手分けしてサポートしました。
筑波山・北面のユースホステルの跡地から山道になりました。車椅子組がずーっと先行し、次ぎに縄田さん。縄田さんは中学2年生のお嬢さんで、高3のボランティア樺沢さんと小高さんに甘えていました。森奥さんと私達(坂田・松本・山崎)は10班の最後尾になっていました。
肢体障害の森奥さんは28歳の男性。登山道までの舗装された坂道は一人でがんばっていましたが、山道ではサポートが必要でした。松本さんと坂田さんが左右に付きました。我々にはなんでもない山道も、彼には大変でした。わずかな段差や滑りやすい斜面は難儀します。たちまち汗びつしょりです。サポートする坂田さん。松本さんも必死でした。登山口までは「ムカゴがあった」「ヤマブドウがあったァ…」といっては道草ばかりしていて、森奥さんにドンドン置いて行かれたのとは、もうわけが違います。二人は肩を貸し腕を取りながら、少しでも段差が少なく歩きやすいルートを彼に提供するため、自分達は足場の悪いところ歩いていました。そして彼の意思を確認するために絶えず話しかけていました。全く真剣です。階段があると身構えて平坦になるとホットしました。終わりの方は意地悪なほど階段がありました。やがて長い階段の先に仲間の顔が見えました。ゴールでは仲間ばかりではなく一般のハイカーも祝福してくれました。でも私達はすっかりくたびれていて、ホットしたのは一休みしてからでした。みんなが待っている場所に移動する時、お土産屋さんの前を通りました。坂田さん・松本さんは「わぁ…カワイイー」とか言って、店先からもう動きません。また道草がはじまって森奥さんと私は苦笑しました。
問違いなく、私達は1つのパーティーでした。
帰りのパスの中で車椅子の鈴木信一さんからお礼の言葉がありました。でも、お礼を言いたかったのは、むしろ私達一般参加者の方ではなかったでしょうか。筑波山には何度も来ています。でも今日ほどの思い出はありません。貴重な、そして楽しい体験でした。このハイキングが2年に一度しかないのが残念に思えましたし、これを企画し世話をしてくれた方々には心からお礼を申し上げます。そして、まだふれあいハイキングに参加したことがない会員の方には、ぜったいお働めです。
帰ってから当日の朝、渡されたパンフレットを見なおし驚きました。なんと、森奥 昌さんはこの企画の『実行委員長』だったのです。そんなこととはつゆ知らず・・・道草ばかりしてしまいました。
1999.10 山崎 修一
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