ちばやま

ちば山の会1999年12月

千葉市中央区弁天町5番地鶴岡方

Tel・Fax 043-255-9821


ふれあいハイキングin筑波 後編


 車道終点まで行くと、そこは広い未舗装の駐車場で、車で先行した障害者やボランテイアの人たちが後続部隊の到着を待っていた。どこやらの生徒さんたちが下の広場で気勢を揚げている。
 さっそく車イス補助のレクチャーが始まった。車イスというのは各部で強度が異なることから、何が何でも持ち上げればいいというのではなく、差し回したスリングやロープを縛りつける位置などが限定されている。タイヤ回りや車軸部分などは比較的弱いため、あまり負荷をかけてはいけないようだ。
 ひととおリレッスンが終ったので、いよいよ出発。車イス1台を六、七人でサポートする。登山道は車両止め(オフロードバイク対策か?)の杭をまたぐところから始まった。しょっばなから神興担ぎで先が心配されたが、すぐなだらかな坂道にかわってほっと一息。
 鈴木さんも車イス介護に慣れない補助者ばかりで、内心不安だったのだろうが、そのようなことはおくびにも出さず、私たちにゆったり身を委ねていた。
 リーダーは「ちば山」が先頭をきって登って行くことにご満悦だったが、これはすぐ追い越されてしまった。
 下がデコボコでも、単なる登り坂が続くあいだはそれなりに引っ張り上げていけばよかったが、丸大を横に重ねた階段に差しかかると、これはもう担ぎ上げるしかない。登るにしたがってそのような階段が続くようになった。それでも、道幅が広いうちは力任せに持ち上げていたが、 しだいに両側からササが迫り、車イス1台分の幅しかなくなってくると、横から支えることがむつかしくなってくる。
 まるで計算されたように、難易度が上昇していく。階段を十段ほど昇っては一服、昇っては一服といったことの繰り返しになった。
 障害者の介助の方法についてはいろいろなパターンがあるのだろうが、車イスに関していえば、平坦な舗装路以外は、まんま力仕事である。女性の腕力にも限界がある。もっと男性諸氏の積極的な参加が必要だろうと思った。

 山頂の御幸ヶ原直下の舗装階段が最後の難関だったが、どうやらクリアすると、そこはもう、観光客の世界。
 展望レストランがあり、土産物屋が軒を並べ、行楽に訪れたカップルや家族連れ、ハイキング姿の中高年登山者の群れなどで賑わう様子は、今までの暗く寂しい山道がウソのようで、鈴木さん始め、初めて筑波に登ったメンバーも驚いていた。

 さっそく昼食の準備が始まった。白石くんが中心となってミネストローネ(とろとろスープの意)を作るそうだ。ガマの油で有名な筑波山頂でイタメシとは、オシャレじゃありませんか。
 周りでも、鍋や大きなクッカーを使って盛んに調理が始まっている。味噌仕立ての汁物が多いようだ。鍋がいくら大きくても、ガスコンロは例の登山用のコンパクトなタイプなので、調理する人たちもたいへんだ。それでもしだいにいい匂いがあちこちから漂って来る。
 いつのまにかリーダーがどこから持ってきたのか、豚汁みたいなものを食べている, 「え、どこで賞ってきたの?」、「食べてみる?」というので、受け取ってスブーンで拾い上げてみると、サトイモ、ニンジン、ネギなんかが入っていた。東北地方の河原なんかでよく見かけるイモ煮に近い。リーダーはどうやら調達の才能があるようで、世界中どこ行っても食いっばぐれのおそれのない人とみた。
 いよいよミネストローネが完成し、はれて昼食。これがなかなか美味い。よその班にもお裾分けしたが、好評だった。白石シェフに拍手。エンジン、プロッコリ、オクラ、カリフラフーといった野菜を大きさを揃えて切り、固形スープとホールトマトで煮て、極細スパゲテイとテーズで仕上げてある。肉も入っているようだが、私の皿には見かけなかった。

 食事も済み、下山という段取りだが、ケープルカーを利用するので気が楽だ。ただ、筑波山のハイライトは、男体・女体両山頂からの関東平野の展望や、女体山頂からつつじヶ丘に至るまでの奇岩怪石の点在するハイキングコースだと思うので、ちょと残念な気もする。女体山頂などは大きな岩塊から成っていて、足下は急峻な崖で、ちょっとしたアルペン的な雰囲気も味わえるのでぜひ登ってほしかった。
ケーブルカーの乗車口は階段の連続なので、ほとんど担ぎ上げで、それなりに注意が必要だった。山登りだけではない、単なる観光地を巡るのさえ、車イスの人にはたいへんなことであることをあらためて痛感させられる。
 予定時間を多少遅れていたようだが、どうやら全員無事にバスの待つ駐車場までたどり着いた。駐車場の隣は筑波山神社だが、残念ながら今回は見送り、参詣はできなかった。

帰りの車窓から眺めると、よく晴れた夕景のなかに筑波山が大きく浮かびあがる。電波塔や展望台、旅館街、ロープウエイやケープルカーといった猥雑な施設にとりまかれているが、やはり名山だなと思った。左右にピークをもつおだやかなスカイラインは、遠い昔、万葉人が振り仰ぎ、褒めたたえた姿そのままである。

                             石原 辰雄

前編に戻る

BACK