2007年4月29〜30日(日・月) 槍ヶ岳・飛騨沢山スキー山行報告


山域  北アルプス
場所  槍ヶ岳
メンバー  菊池単独
天気    晴れ
コース   29日 新穂高駐車場4:30-林道の途中からシール登行−白出小屋から槍平小屋までは日陰の硬雪・アップダウン・悪路などのため主にアイゼン歩行に切り替えた−9:45槍平小屋10:05ーシールで飛騨沢を登行ー14:50飛騨乗越ーアイゼン登行−15:20槍岳山荘
30日 山荘で遭遇したMINMIN・四国からはるばる遠征してきたテクニッシャンのO氏の3人で行動。山荘8:00ー槍沢滑走(標高差約200m)−山荘9:45ー飛騨乗越直下までアイゼンで下降ー飛騨沢大滑走ー槍平小屋大休憩−白出沢出会い付近で迷い30分程度ロスー白出小屋ー15:30新穂高



太郎平に向かうはずであったが、何とスキー靴を忘れるという大失態、鶴田さんの車を借り千葉へユーターン、飛騨沢滑走に計画変更し、我が家で2時間の休息後、新穂高へ向かった(往復760km)。このところ物忘れが激しく、認知症の前兆か、大出費と仲間との薬師岳山スキーが実現できなく残念であったが「万事塞翁が馬」・「災い転じて福となす」、好天に恵まれ、アドレナリンでまくり状態で、思いもかけなかった長丁場でハードな槍ヶ岳の山スキーを堪能できた。


新穂高から槍ヶ岳までガイドブックでの歩程は8時間半である。槍平小屋まではシール、ツボ足、アイゼン登行で、硬い斜面のトラバース・小さなアップダウン・デブリの通過など、やや苦労して5時間強を要した。ここで行動食の小休止。さあここからは展望の広がる後半戦である。飛騨沢下部の緩やかな登りを、穂高連峰をバックにゆっくりシール登行した。しだいに西鎌尾根、広大な飛騨沢カールと槍の穂先が遠望できるようになると、疲れた身体をものともせず、気分は高揚してきた。カールの下部に到達すると、遥か彼方に飛騨乗越に向かう数パーテイが蟻の行列のようにみえる。シール登行も順調に高度を稼いでいる。なんとか2時ころには山荘に着けるのでは錯覚したが、稜線に近づくにつれ次第にハードな急斜面、体力の消耗も激しくなっており、なかなか稜線に近づかない。飛騨沢カール上部のパウダーに雄叫びを上げて滑降してくる数名の山スキーヤーに羨望の眼を向けながら、ガマンの踏ん張りである。単独山スキーヤーとしばし言葉を交わし情報を得たが、後日山スキーMLでのやりとりで横浜の金木さんであった。

稜線直下は徐々に風が強くなり、西日があたるハードなクラスト急斜面、乗越に向かっての直登は厳しく右に巻いて行くとなんとか稜線までシール登行可能であった。乗越は強風のガリガリ状態、山荘までの急斜面はアイゼンが必須。午後3時半前、ながーく辛い一日は漸く終わった。






今年は少雪年であるが、標高2500m以上は春の降雪で例年より残雪は多い。28日の降雪で槍の穂先は素晴らしい冬景色、ヘロヘロ状態と怖さで登頂は断念したが、2日間の快晴のもと、夕景・日の出の大パノラマをデジカメに収めることができた。






30日も絶好の山スキー日和、昨年から三度目の遭遇であったMINMIN女史と四国からはるばる遠征してきたテクニッシャンO氏の3人で槍沢の急斜面を標高差200mあまり滑走後、乗越直下までアイゼンで下ってから、10時頃から飛騨沢カールの大滑降に突入した。上部は左のノートラックを狙うとなんと密度の濃いパウダーではないか。われわれもつい雄叫びを上げずにはいられなかったのは言うまでも無い。カール中部はややハードな滑りにくい斜面、下部になるに従い柔らかくなり滑りやすい状態となった。笠が岳を望みカールの底に吸い込まれるように春のザラメに変化した素晴らしい飛騨沢の大斜面に思い思いのシュプールを描き、意気投合した3人は大満足の記念撮影を撮りあった。カールから緩い台地状斜面を穂高連峰を高望みしながらマッタリ滑りで槍平小屋に向かった。白出沢出会いの手前で沢に沿ったトレースを辿って行くと、出会いでは下部に下りすぎていたため、林道に出るまで約30分のロスをしてしまった。 平湯温泉で太郎平・薬師岳組と3日ぶりに再会、完全燃焼した汗まみれの身体を癒し帰路についた。




                                    (菊池 記)

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2007年 千葉県勤労者山岳連盟 ちば山の会 
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